Blooming Days,Oct’18 | 倉嶋桃子|TOKYO854

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,Oct’18

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10月も後半になりました。
爽やかな秋の空を見上げていると、とても清々しく一気にリフレッシュできる気がします。

私が住んでいる地域には、東久留米市にもつながっている黒目川という川が流れていて、気候がいい秋の時期は、大人も子どもも川沿いをお散歩したり、遊んだり、バーベキューをしたりとにぎわっていることがあります。

先日もそばを通ると、大人と子どもと数人のグループでシャボン玉を飛ばして遊んでいるのが見えました。太陽に照らされたシャボン玉は、キラキラと光りながら空へ沢山飛んでいて、周りにいる人達も笑顔でその様子を眺めているのが印象的でした。

このシャボン玉、日本には17世紀はじめにポルトガルから伝わったと言われ、江戸時代初期の頃からすぐに人気の遊びとなり、1677年にはシャボン玉売りもいたようです。

江戸時代も後期になると、京都や大阪では神社の祭礼に「吹き玉やさぼん玉、吹けば五色の玉が出る…」と行商人が繰り出し、江戸では「玉や、玉や……」と通りを歩くシャボン玉売りに子どもたちが群がりました。

特にシャボン玉が流行ったのが幕末期で、歌川 国芳(うたがわ くによし)の浮世絵にも擬人化された金魚が、水中でシャボン玉を売り歩く姿が描かれています。

今では石鹸や洗剤などを材料にシャボン玉液を作りますが、当時石鹸はとても高価なものだったため、無患子(むくろじ)の実や芋がら、タバコの茎などを焼いて粉末状に加工したものを、水に浸して用いていたようで、ストローの代わりに、竹の細い管や葦(あし)の茎などを使っていました。

「さあさあ お馴染みの玉屋でござる なんでもかでも ふきわけてごらんにいれましょう まず玉の始まりは」という口上を言いながらシャボン玉を売り歩く姿に、当時の子ども達もとても喜んでいたということですから、いつの時代も、きれいなシャボン玉は、人を引き付ける魅力があるんですね。

本格的な冬が訪れる前の秋の晴れ間、子どもたちはもちろん、大人も童心に帰って遊んでみるのもいいかもしれません。

さて、今回は、だんだんと秋が深まってきた今日この頃、「秋」をテーマに秋にまつわる話題をお送りいたします。

参考資料

シャボン玉 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/22i4

【うどん粉で洗髪】江戸時代は石鹸や洗剤として意外な物を使っていた!【灰で食器洗い】(4) | 江戸ガイド

https://blooming-days.njs.xyz/7l8p

日本舞踊「玉屋(清元)」のシャボン玉売りとは?詳しく解説! | 俺の日本舞踊
https://oreno-nihonbuyou.com/tamaya/

さて、本日の放送内容です。

「Interest」in bloom-その1-

今日10月18日は十三夜。
旧暦9月13日にあたる日の月を鑑賞する習慣で、中秋の名月。
「十五夜」に続く月ということから「後(のち)の月」とも呼ばれます。

お月見というと、旧暦8月15日の中秋の名月を愛でるイメージがありますが、それだけではありません。
中秋の名月が中国から伝わった風習と言われる一方、この十三夜に月を愛でる風習は日本独自のものです。


十三夜

中秋の名月は満月か、満月になる直前の丸い月ですが、十三夜は満月になる途中の少し欠けた月です。
満月でもない十三夜にお月見をする風習がなぜ日本で始まったのか、これには諸説ありますが、平安時代前期、寛平法皇(かんぴょうほうおう/宇多天皇/第59代)が、この夜の月を「無雙(ぶそう)」と賞したのが始まりとも、醍醐天皇(だいごてんのう/第60代)の延喜(えんぎ)19年(919年)に清涼殿で「月見の宴を催した」のが始まりともいわれています。

中秋の名月は、長雨や台風で天気が悪く、月が雲に隠れ 見えないことも多かったこともあり、この日にお月見をする風習が広まったのかもしれません。

雲消えし 秋の半ばの 空よりも 月は今宵ぞ 名におへりける

平安末期から源平争乱の時代を生きた西行は「中秋の名月よりも十三夜の月の方が名月の名に相応しい」といい、鎌倉幕府滅亡から南北朝の動乱の時代を生きた吉田兼好は『徒然草』に「中秋の名月と並んで、十三夜は月を賞翫(しょうがん)するのに相応しい夜だ」と綴っています。

「十三夜」という天皇や貴族、文化人を中心とした風習が一般庶民に広まったのは江戸時代のこと。
「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」が秋の実りに感謝する祭りとして親しまれ、里芋などを供えて「芋名月」と呼ばれたように、「十三夜」は豆や栗などを供えて「豆名月」「栗名月」と呼んでいました。

十五夜の月を「前の月」と呼ぶのに対し、十三夜の月を「後(のち)の月」、2つの月を合わせて「二夜(ふたよ)の月」と呼び、片方しかお月見をしないのは「片見月(かたみづき)」と呼ばれ、縁起の悪いものとされていました。

この出どころは諸説あるものの、一説には江戸吉原の遊郭が紋日だった「十五夜」に登楼した客を「十三夜」にも再訪させるために謳い始めたといわれています。
当時、吉原の遊女たちはどちらかにしか登楼しない客を「片見月(かたみづき)」と呼んで忌み嫌ったそうです。

日本では古くから月に名前を付け、大切な存在として親しんできました。
1日目を新月、2日目を二日月(ふつかづき)、3日目を三日月、7日~8日目を上弦の月、13日目を十三夜、14日目を小望月(こもちづき)、15日目を満月、16日目を十六夜(いざよい)、17日目を立待月(たちまちづき)、18日目を居待月(いまちづき)、19日目を寝待月(ねまちづき)、20日目を更待月(ふけまちづき)、22日~23日目を下弦(かげん)の月、26日目を二十六夜月(にじゅうろくやづき)、そして30日目を三十日月(みそかづき)。

江戸時代の人々のお月見の風習は他にもあり、旧暦1月26日と7月26日の深夜八つ刻(やつどき/午前2時頃)に現れる月には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊が宿るとされ、「二十六夜待ち(にじゅうろくやまち)」と呼んで、江戸後期には高輪から品川にかけての海沿いや高台に老若男女が押し寄せ、飲食を楽しみながら真夜中の月を楽しんでいたようです。

これはもともと「月待ち」と呼ばれる民間信仰でしたが、時代が下るにつれて大衆の娯楽へと発展しました。

今日は天気もよく、十三夜のお月見は叶いそうです。
東京の場合、この番組の終わった後の午後4時11分頃に月の出を迎えますので、夕方には東の空に浮かぶ月を見ることができそうです。
夜の10時過ぎに南の空で最も高度が高くなり(南中)、19日(火)3時頃に月没するまで西の空で見ることができます。

十五夜では、15個か5個の団子を用意して積み上げてススキを飾り、お酒などを用意して月を愛でるのが一般的ですが、十三夜で供える月見団子の数は、13個か3個。
収穫を祝う行事でもあることから、栗や豆などを供えて食べる習慣があります。

お仕事の帰り道、ちょっと空を見上げて、月を眺めてみてください。

参考資料

今年は10月18日。「十三夜」の過ごし方。〈歴史に見る天体観測の話〉(男の隠れ家デジタル) – Yahoo!ニュース
https://blooming-days.njs.xyz/okvf

日本独自のお月見「十三夜」とは お供え物は必要? 風流を感じる月の呼び名あれこれ(Hint-Pot) – Yahoo!ニュース
https://blooming-days.njs.xyz/azcl

今夜は十三夜 欠けた月を愛でる日本独自の風習 – ウェザーニュース
https://blooming-days.njs.xyz/qysq

「Interest」in bloom-その2-

この時期、澄み切った秋空の下、スポーツを楽しむには最適な季節となり、各地の小中学校では運動会が行われている学校も多いようです。


運動会

現在は「運動会 = 小中学校」のイメージが強いですが、その黎明期は、欧米文化と接する機会の多かった高等教育機関で盛んに行われていました。
日本で最初の運動会は、1874年(明治7年)に海軍兵学寮(かいぐん へいがくりょう)で行われた競闘遊戯会(きょうとうゆうぎかい)。
「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として明治末期から社会的に広く普及し、1885年に初代文部大臣の森有礼(もり・ありのり)が小学校などでの運動会を奨励し、一気に広まりました

「日本の学校における運動会の発達に関する研究(中京大学体育学論叢36巻2号1995年3月)」によると、1884年4月に開催された春季大演習会では、体操だけでなく綱引きや競歩なども実施。
同年11月には早くも第3回目となる「秋季大演習会」が行われており、だいぶ好評だったようです。

そんな流れの中、1964年に開催された東京オリンピックが、秋の運動会定着のきっかけになったといわれています。
東京オリンピックの開会式は10月10日。1966年に、この10月10日が国民の祝日である「体育の日」として制定されました。

かつて10月10日は体育の日と呼ばれ、10月に運動会を行う学校がたくさんありましたが、平成に入ってからは9月~10月に開催せず、5~6月に前倒しする学校が急増しています。

東京都内の小学校では、59.9%が運動会を春に開催しています。

これは、9月~10月の時期、春に比べて、台風などが発生しやすく、日程調整が難しかったり、遠足、修学旅行、文化祭、合唱コンクールなど行事も多いことから、行事を分散化させるため、受験を控える子どもを、秋から勉強に専念させるためと言われています。

運動会のお昼といえば、校庭で家族と子ども、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚などがお弁当を囲んで、にぎやかにみんなで食べるというイメージがありますが、最近では保護者が仕事などで来られなかったり、片親の家庭に配慮して、学校側でお弁当を用意し、教室で食べさせるほか、普段通りに給食を出す学校、家庭の負担軽減のため、運動会を午前に終了させる学校も多いようです。

また、競技内容についても、徒競走などで「順位」をつける事に対してのクレームが増え、個人の順位がはっきりする競技を極力減らす対応を取った学校も多く、玉入れ、つな引き、ダンスなどチームで優劣を競う競技を多くするよう競技内容にも変化があるようです。

かつては運動会の花形だった組体操や騎馬戦も、危険がともなうという理由から廃止や縮小し、転倒して骨折のおそれがある「ムカデ競走」や二人で息を合わせて走る「二人三脚」も、最近ではあまり見られなくなりました。

騎馬戦の代わりに登場したのが「ローハイド」という新種目。
「ローハイド」といえば、かつて放送されていた西部劇ですが、騎馬戦と同じように騎馬を組んで上に乗った人がカウボーイの要領で、ロープの先についたボールで前方のカラーコーンを倒し戻るという、リレー形式の競技です。

また、低学年で行われる玉入れも、落下してきた玉に当たる、砂と一緒に落ちてくるので目に砂が入るという理由で、通常の玉入れのかごよりも少し大きなかごを先生が背負って逃げ回り、それを子供たちが追いかけながらかごに玉を入れるという改良型の玉入れが考案されました。

これらは、子どもの体力が落ち、運動する子としない子に二極化していることから、以前にも増して安全に気を配る傾向が強まったことが要因のようです。

子どもたちの競技だけでなく、運動会が終わった校庭には、ビールの空き缶やタバコの吸殻、ゴミのポイ捨てと、「保護者マナー」も大きな問題になっているようです。
シートの場所をめぐる親同士のトラブル、徒競走の結果にクレームなど、ひと昔前なら考えられないことも起きているようです。
かつてはビデオカメラを持ったお父さんの姿は、運動会でよく見る光景でしたが、スマートフォンが普及した現在、写真撮影の禁止や規制など撮影ルールを設けている学校もあります。
他にも、動画の撮影の邪魔になるので大声で応援してはいけないなどの特殊なルールがある学校や地域もあるようです。

昭和の時代の運動会とは随分と様子が変わっているようです。

参考資料

昭和時代は秋開催だった「小学校の運動会」が知らぬ間に春に移ってたワケ(アーバン ライフ メトロ) – Yahoo!ニュース
https://blooming-days.njs.xyz/0jte

運動場でバーベキュー? アルコール? ──当世、運動会事情(tenki.jpサプリ 2018年10月06日) – 日本気象協会 tenki.jp
https://blooming-days.njs.xyz/xmko

「運動会」今昔物語。変わりゆく行事の形と最新運動会事情 – WOMEN’S SHOWCASE(ウィメンズショーケース)
https://w-sc.jp/undoukai/

「Interest」in bloom-その3-

田んぼアートとは、田んぼをキャンバスに見立て、色の異なる稲を使って、巨大な絵や文字を作り出すプロジェクト、またその作品のこと。

大規模なものの多くは斜め上から見る前提で図案を設計し、これに基づいて遠近を考慮して植えられています。


田んぼアート

使用する稲は背景の緑部分には現代の食用に広く栽培されている品種、図柄の部分には古代米と呼ばれている在来種のうち葉色が濃い紫や黄色の稲、または公的機関で葉色や穂色が鮮やかなものを選抜して育成した観賞用品種の稲で、これらの葉や穂の色によって緑色、黄緑色、濃紫(こむらさき)、黄色、白色(はくしょく)、橙色(だいだいいろ)、赤色といった色が作られます。

1993年(平成5年)に青森県南津軽郡田舎館村(いなかだてむら)で村おこしとして、田舎館村の村役場の裏手にある田んぼで、田んぼアートが開始されました。

その後2010年以降になると、これが日本全国に広まり、全国田んぼアートサミットも開催されています。
2020年代には、中華人民共和国でも行われるようになりました。

先駆けと言われる青森県田舎館村は、黒石市と弘前市の中間、津軽平野の中央にある村で、人口8400人余りの良質なお米のとれる豊かな村です。
なかでも稲作の歴史は古く、「垂柳遺跡(たれやなぎ いせき)」からは、弥生時代中期(約2100年前)の水田跡が発見されました。
これは北方稲作文化の歴史を塗り替える大発見でした。

この村は、今でも稲作が盛んで、田んぼ1反歩(いったんぶ/約1000㎡)あたりの米の収穫量で日本一をとったことがある、米作りの村です。

1993(平成5)年に始まった田舎館村の田んぼアートは、これまでに21のテーマで作品を製作。
2012年からは会場を2ヶ所に増設し、毎年2作品を楽しめるようになりました。

絵画のように細かく描かれた絵柄はもちろんのこと、近年は背景にもこだわりを見せ、グラデーションで表現されていたり、絵の情景がわかるような作品となっていたりすることも田舎館村の田んぼアートの特徴です。

1番の見ごろは7月中旬~8月中旬あたりですが、例年であれば見学は稲の収穫前の10月10日まで可能。
稲穂が色づいた田んぼアートもセピア色のような味わいがあり、また違った見え方になります。

田舎館村の田んぼアートは、村の主幹産業として長い歴史を持つ稲作を使った観光コンテンツを作ろうと、スタート当初から村民の手で田植えを行い、絵柄も村民たちが考え、少しずつ進化させてきました。

現在では、ボランティアの田植え参加者の公募には 県内外から応募があり、その影響力の大きさから、さまざまな企業や団体から絵柄にしてほしいというオファーがあると言われています。

田舎館村には、人口8000人弱をはるかに上回る年間20万人以上の見物客が訪れるそうです。

風に揺られて動く稲穂は、田んぼアートが動いているように見えるといいます。

今年はすでに稲刈りも済み、見ることはできませんが、来年はぜひとも現地で見てみたいと思います。

参考資料

田んぼアート – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/du4b

田舎館村田んぼアートオフィシャルサイト
http://www.inakadate-tanboart.net/

国内外で注目を集める「田んぼアート」。大地に描かれた芸術は圧巻!│観光・旅行ガイド – ぐるたび
https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1174/

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

見るラジオ

今回は、暖炉の火を見ながらラジオを聴く、そんな気分になれるような動画を作ってみました。

今回使用している動画は、下記のものを使用させていただいています。

動画について

■ All Natural – FIREPLACE – 4K – Relaxation, Concentration, Study, Refresh and Sleep
@Refresh Relaxation TV

https://www.youtube.com/watch?v=fZw2h0unDQI

動画内で使用している楽曲は、次世代を担うミュージシャンたちのものです。気になる曲があったらリンク先サイトを覗いてみて下さい。

動画内音楽について

Within These Walls by Andrew Word
https://artlist.io/song/73481/within-these-walls

Between Me and You by Samlight
https://artlist.io/song/73483/between-me-and-you

Blue Water by Oliver Michael
https://artlist.io/song/72767/blue-water

Waste Our Time – Alternative Version by Jane & The Boy
https://artlist.io/song/71553/waste-our-time

Super Music Wide