Blooming Days,April’26 | 倉嶋桃子|85.4MHz FMひがしくるめ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,April’26

  • PODCAST

    ※アプリをインストールしてお聞きください。Spotify Freeはずっと無料のプランです。 期間限定でもなければ、登録にクレジットカードも必要ありません。 放送後記は、放送終了後に公開します
  • facebook

  • Twitter

2021年4月26日(月)

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

先日、埼玉県の小学生柴田亮(りょう)さんが、山口大学大学院の小島渉講師との共同調査により「カブトムシは夜行性」という常識を覆す発見をした、という話題を見つけました。

記事によると、埼玉県杉戸町(すぎとまち)の小学6年柴田さんは、外来植物の庭木「シマトネリコ」に集まってくるカブトムシの個体数を、2019年と2020年の夏の間、1日に3〜5回、早朝から深夜まで計測したところ、カブトムシの数は、深夜0時にピークを迎えるものの、完全に夜が明けても多くの個体が「シマトネリコ」に残ることを発見したとのこと。

また、2020年には、各個体の詳しい活動パターンを知るため、162匹に番号をつけて追跡調査してみると、カブトムシの多くが夜間に飛来し、数が最も少なくなる正午頃でも、ピーク時の半分が樹液を吸ったり交尾を続けていたようです。

この活動パターンは、クヌギの木では見られない現象であり、また台湾に自生する「シマトネリコ」に集まるカブトムシはすべて夜行性だとか。
このことから、クヌギの木を利用する日本のカブトムシは夜行性ですが、普段利用しない「シマトネリコ」から樹液を吸うようになったことで、活動時間が変化したと考えられているようです。
つまり、「利用する植物種によって活動時間が変化する」ということがこの研究によって示されたということです。

なぜ「シマトネリコ」に集まるカブトムシが、昼間も活動を続けるのかは、まだ分かってはいないそうですが、可能性としては、シマトネリコの樹液はクヌギの樹液よりも栄養価が低かったり得られる量が少なかったりするため、“満腹”になるまで時間がかかるという説やシマトネリコの樹液に、カブトムシをその場に留まらせるような成分が含まれているという説があるようです。

ちなみに、「シマトネリコ」の名前の由来は、本種の樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質(イボタロウ:いぼた蝋)にあり、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから「戸に塗る木(ト-ニ-ヌル-キ)」とされたのが、やがて転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられているとか。

この「シマトネリコ」、育て方が比較的容易で見た目も美しく、常葉樹のため落葉管理が楽であるなど、一般的なお庭から公共の施設まで人気の木、ということのようですが、このように外来植物が入ってくることによって、日本の生態系にどのような影響があるのか、今後も様々な研究が必要になっていくのかもしれません。

参考資料

カブトムシは夜行性じゃない?小学生が根気で“常識”くつがえす発見、アメリカの専門誌に掲載される
https://blooming-days.njs.xyz/sz9e

山口大学プレスリリース「外来植物がカブトムシの活動リズムを変化させる」
https://blooming-days.njs.xyz/o807

人気な庭木「シマトネリコ」とは?その特徴や育て方を解説!枯れる原因は?
https://kurashi-no.jp/I0018485

シマトネリコの育て方|植物図鑑
https://blooming-days.njs.xyz/fnky

トネリコ(Wikipedia)
https://blooming-days.njs.xyz/7e8w

それでは、本日の放送内容です。

「Interest」in bloom-その1-

今日4月26日は「よい風呂の日」。
4をよい、26をふろと読む語呂合わせで、親子でお風呂に入って対話を深めたり、 家族同士ふれあいを促すことを目的に、日本入浴協会が制定しました。


お風呂の起源と歴史

お風呂の起源は古く、紀元前4000年頃まで遡るとされていますが、国や地域、文化により、そのスタイルは様々です。

世界最古と言われるメソポタミア文明時代には、すでに払い清める沐浴のための浴室が作られていたそうで、紀元前2000年頃には、薪を使用した温水の浴室も神殿に作られていました。

また、紀元前2600年頃のインダス文明のモヘンジョダロや、ハラッパー等の都市には、大規模な公衆浴場が完備されていました。

そして、ギリシア(ギリシャ)では、現在のオリンピック精神の元となった「健全な精神は健全な肉体に宿られかし」との考えから、この時すでに、スポーツ施設に付帯して、沐浴のための大規模な公衆浴場が作られることが多かったようです。

紀元前100年のローマ帝国の時代になると、豪華な公衆浴場と、湯を沸かす際の熱を利用した「ハイポコースト」という床暖房設備が発達し、地中海沿岸の国々では、現在の日本でも見られるような、社交場としての男女混浴の公衆浴場が存在していました。

入浴様式は蒸し風呂の他に、広い浴槽に浸かる形式もあり、217年につくられたローマのカラカラ大浴場は、2000人以上が同時に入浴できたといわれています。
古代ローマの入浴は、官営病院を持たなかったローマ人の感染予防施設としても使われていたようです。

しかし、不潔さこそ 聖人の要件であり、自己犠牲、敬虔な振る舞いであると信じていた初期キリスト教の信者達からは、ローマ式の入浴スタイルは退廃的で贅沢であるとされ、敬遠されるようになりました。

ローマ帝国の領土を受け継いだヨーロッパの地では、13世紀頃までは、辺境の地であっても入浴習慣が普及していましたが、それは、教会に行くための清めとして、大きめの木桶に温水を入れて、身を簡単にすすぐ行水の様なものでした。

一方、かつてのローマ帝国領の東部に当たる中近東では、入浴文化が受け継がれ、ハンマームと呼ばれる公衆浴場が、住民の社交場としての役割を担っていました。

しかし、14世紀に起きたペストの流行により、多くの公共浴場が閉鎖され、入浴自体も「ペスト菌を積極的に体に取り込んでしまう」といった間違った解釈がなされ、入浴といった習慣自体が忌避され、地中海やヨーロッパでは入浴の文化が縮小していきました。

ルネサンス期のヨーロッパ、特にフランスでは「水や湯を浴びると病気になる」と信じられ、王侯貴族は、入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭をごまかすようになりました。

その後、ヨーロッパでは医学の進歩に伴い、18世紀には「入浴が積極的に病原菌を体に取り込む」といった解釈が否定され、むしろ健康の上で好ましいと見なされるようになりました。

それに伴い、公共浴場や入浴が見直される機運が高まり、19世紀、イギリスでシャワーが発明されると、温水に浸かる風呂から、シャワーとして温水を浴びる習慣が世界に広まりました。
現在の欧米でも浴槽のない風呂場もあり、温水の風呂に浸かるのは、月に1・2度程度が一般的となっています。

さて、欧米諸国のシャワー文化と異なり、現在ではお湯に浸かる入浴方法が一般的な日本の場合、川や滝で身を清める「禊」の風習が、現在の入浴の起源であると考えられています。

庶民にこの習慣が広がったのは仏教伝来以降。
仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、建立された寺院には湯堂、浴堂とよばれる、沐浴のための施設が作られていました。

特に光明皇后が建設を指示し、貧困層への入浴治療を目的としていたといわれる「法華寺」の浴堂は有名で、当時の入浴は湯につかるわけではなく、薬草などを入れた湯を沸かし、その蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式だったそうです。

平安時代になると寺院にあった蒸し風呂様式の浴堂の施設を、上級の公家の屋敷内に取り込む様式が現れ、次第に宗教的意味が薄れ、衛生面や遊興面での色彩が強くなったと考えられています。

浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるというスタイルが、いつ頃発生したかはわかっていませんが、古くから桶に水を入れて体を洗う行水というスタイルと、蒸し風呂が融合してできたと考えられています。

この入浴方法が、一般化したのは江戸時代に入ってから。

江戸時代は一般的に入浴頻度がそれほど高くなく、銭湯などの共同浴場での入浴が一般的だった一方で、地域や生活水準、あるいは季節によってまちまちであったようです。

毎日入浴する習慣が全国的になっていくのは、家庭内へガスによる瞬間湯沸器や、水道水の普及が進んだ高度経済成長期以降のこと。

近年はシャワーが普及し、少人数世帯の増加と、夏期は一日に複数回入浴するために、シャワーのみ浴びるという人が増えました。

一般に日本人は入浴、特に高い温水での入浴を好むと言われ、多くの日本人が好む入浴温度は40~43度程度と言われていますが、「高温の入浴は健康(特に高血圧)に悪い」「身体を温めるにはややぬるい風呂に長く入る方が効果的」と考えて、ぬるめの入浴を好む日本人も増えるなど、入浴の仕方にも変化が現れています。

日本では、浴槽に入る前に身体を洗うか、汚れを流し落とすことがマナーとされ、「アメリカ人は体をきれいにするために風呂に入るが、日本人は体をきれいにしてから風呂にはいる」と言われるほど浴槽の衛生管理に違いがあります。

また、日本人と同じく入浴に熱心だったローマ人にとって、入浴はその後の活動の準備であり、そのために体をリフレッシュさせる手段であったのに対し、日本人は一日の疲れを癒やしぐっすり寝るために、夜に入浴するなど、日本独自の入浴文化となっています。

参考資料

入浴 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/p1qy

風呂 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/b506

「Interest」in bloom-その2-

現代の日本では、入浴する設備を総称してお風呂と呼んでいますが、江戸時代までは「湯」と「風呂」に分かれていました。


江戸時代のお風呂文化について

「湯」とは今でいうお風呂のことで湯に体を浸すものでしたが、「風呂」は今でいうサウナのようなもので、釜に湯を沸かし、熱い水蒸気により身体の垢を浮き上がらせた後に、室外に出て笹の葉などで身体を撫でたりして垢をおとし、掛け湯をするというものでした。

また、当時の庶民や武士は、水で体を洗う「行水」、または水でただ汚れを落としていただけのようです。

江戸時代に入り、お風呂の文化は大きく変わりました。

徳川家康が江戸幕府を開いた1600年代前半、わずか15万人程度だった江戸の人口は、1800年代になると100万人を超えるほど人口が集中する都市に発展しました。
同じ頃のヨーロッパに目を向けると、ロンドンの人口は90万人、パリは60万人ですから、世界でも有数の巨大都市と言えます。

江戸で最初の銭湯は、天正19年(1591年)伊勢与市(いせ よいち)という者が「銭瓶橋(ぜにがめばし)のほとりに銭湯風呂を建てた」と記録にあります。

それが17世紀初頭慶長年間の終わりには、江戸市中に600軒を数えたと記録が残るほど銭湯は広まりました。

風呂代は8文程度で、現在の金額にすると120円ほど。
そば一杯の値段の半分です。
江戸っ子は一日に何度も湯屋へ行くために、肌は乾燥していたそうで「垢ぬけた」といって粋がったようです。

江戸最初の銭湯は蒸し風呂だったと考えられていますが、やがて蒸し風呂の一種「戸棚風呂(とだなぶろ)」が登場しました。
浴槽の底に膝をひたす程度に湯を入れ、下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す仕組みです。
燃料不足や水不足の為にこうした形になったと言われています。

そして、浴室の出入口に「引違い戸」を付け、湯気のもれるのを防ぎました。
ところが、開閉が激しいと湯気が逃げてしまうので、三方をはめ板で囲んだ小室に浴槽を置き、出入口に天井から低く板をさげ、湯気の逃げるのを防ぐ為に工夫された「石榴口(ざくろぐち)」が登場します。

江戸時代初期の銭湯は、町に女性の数が極端に少なかったことや、遊女のような湯女(ゆな)のいる場だったため、女性客はほとんどいませんでした。
湯女風呂が禁じられて、すべての湯女が吉原へ送られると、銭湯に女性客がやってくるようになります。

銭湯側はいきなり風呂を拡張することもできないので、多くの銭湯は「入り込み湯(いりごみゆ)」と呼ばれる混浴になりますが、女性たちも多くは混浴が普通だった田舎から出て来ていたため、抵抗は少なかったようです。

流行に敏感な江戸っ子たちにとって銭湯は社交場でもあったようで、薬湯専門の湯屋や柚湯や菖蒲湯など様々な銭湯文化が生まれます。

その頃から日本では入浴という習慣が庶民の間で根づき始め、世界に類を見ないお風呂好きな国民となったと考えられています。

現在のようにたっぷりの湯に首までつかる「据(すえ)風呂」ができたのも、慶長年間の末頃。
据風呂は蒸気ではなく、湯の風呂だったことから「水(すい)風呂」とも呼ばれ、一般の庶民の家庭に広まります。
この当時のお風呂は、薪を燃やして風呂釜を直接温めるタイプが主流で江戸では「鉄砲風呂」、関西では「五右衛門風呂」などが出現しました。

銭湯の多くは町屋の多い繁華街にあったので、郊外の人々は利用することが出来ませんでした。
江戸の町の堀や川に浮かべた船に、バスタブを乗せ、移動式銭湯として回遊したことから「湯船」という言葉が生まれました。

はじめは浴槽はなく、湯を入れた桶を積んだだけで「行水船(ぎょうずいぶね)」と呼ばれていましたが、やがて浴槽を設けた屋形船になり、港や河岸に横付けして商売をするようになりました。
湯船の入湯料は銭湯の半分、4文だったと言われています。

石鹸は明治中頃に入ってきたので、それまでは米ぬかで顔や体を洗っていました。
上流階級の奥様方に人気の洗顔料がうぐいすの糞。
洗髪は大体1ケ月に1回程度、卵白やうどん粉等で洗っていました。
臭うんじゃないかと心配になりますが、更に匂いが強い整髪料を使っていたようですので気にならなかったのかもしれません。

ところで、世界でも有数の巨大都市となった江戸の町。
これほど人口が密集すると、さまざまなマナーや習慣が生まれるのも当然のことです。
公共スペースとしての銭湯ではマナーを重視してお互いに気持ちよく過ごしたいという気持ちも強かったことでしょう。

十分な灯りがあったわけではなく、夜はかなり暗い状態で入っていたと思われる当時の銭湯。
ぶつかったり、他人に水やお湯がかかったりする可能性も高く、見ず知らずの人にも声を掛け合うことが一般的だったようです。

湯船に入る時には「冷えた体で入ってきてすいませんね」といった意味合いで「冷者(ひえもの)でござ~い」、「田舎者でござ~い」などの掛け声があり、「お先へ」「お早い」「おゆるり」「お静かに」などの掛け声もしばしば使われていたそうです。
周囲への配慮が非常に重要視されていたことが伺われます。

参考資料

銭湯の歴史 | 【公式】東京銭湯/東京都浴場組合
https://www.1010.or.jp/guide/history/

江戸時代の銭湯文化について 独特の文化を紹介! | 東京 江戸川区の銭湯情報「湯らり江戸川」
https://www.oyunofuji1010.com/news/2508/

江戸時代最初の銭湯はどこに?なぜバスタブを「湯船」と呼ぶの? by yaz | 中央区観光協会特派員ブログ

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=1301

女性客ゼロだった江戸の銭湯は、なぜ混浴で賑わい始めたのか |BEST TiMES(ベストタイムズ)
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/8255/1/

「Interest」in bloom-その3-

戦後に家庭風呂が普及したことで、めっきり数が少なくなった昔ながらの銭湯。

銭湯といえば、神社仏閣のような宮造り様式が定番となっていますが、どうやらこれは東京周辺に限られたことのようです。


銭湯にまつわるお話

起源を辿ってみると、1923年に起きた関東大震災の復興期に、宮大工の技術のある大工が、人々の元気が出るようにと、それまで質素な造りだった銭湯を、カーブのある「唐破風(からはふ)様式」の豪華な宮造りの銭湯にしたところ評判となり、それ以降建てる銭湯の多くが宮造りとなったと言われています。

「唐破風」には、この先は極楽浄土への入り口という意味があり、神社仏閣はもちろん、霊柩車や遊郭などにも使用されています。

これは「東京型銭湯様式」と呼ばれ、外観の宮造りのほか、脱衣場の天井が高く格子模様で吹き抜けになっている、坪庭がある、浴室正面に大きな背景画があるといった特徴があります。

背景画は富士山が多く、ペンキ絵とも呼ばれ、大正元年(1912年)東京の神田 猿楽町(さるがくちょう)にあった「キカイ湯」のご主人が、客の子供に喜んでもらおうと、洋画家の川越広四郎(かわごえ こうしろう)に依頼したところ、彼の故郷・静岡県の富士山の絵を描き、それが好評で、それ以降東京周辺に広まったと言われています。

東京型銭湯の湯船が、正面ペンキ絵の下にあるのは、絵の中にある、海・川・湖の水が、真下の湯船と同一空間にあり、富士山で清められた水の中に身をゆだね、体を清める、という日本 古来から「禊」の思想が、根底にあると考えられています。

さて、東西に長く伸びる島国である日本。
北海道から沖縄まで地域によってさまざまな文化や習慣を持っており、食べものから、エスカレーターの左右どちらに立つのかといった事柄まで、東西によって根付いている文化は異なります。

銭湯についても同様で、東と西とでは異なる特色があるようです。

その違いとは、湯船の位置。

全国的には浴場の入り口付近にはカランが並ぶ洗い場があり、浴場の奥に浴槽がある配置が一般的ですが、関西の銭湯は入ると中央目の前に湯船が配置されていることが多いようです。

その由来は諸説あるものの、関東の銭湯の利用者に肉体労働者が多かったため、まず体を洗い流してから湯船に入る入浴スタイルが定着していたからだともいわれています。

逆に商人の多かった関西では先に湯船に入ってから体を洗う人が多かったため、浴室の中央に湯船が置かれた、ともいわれているのだとか。

実は、これに合わせて、銭湯でよく見かけるケロリンの桶も関東と関西ではサイズが異なります。
関東版が重さ360g 直径225mm 高さ115mmなのに対して、関西版は重さ260g 直径210mm 高さ100mmと一回り小さくなっています。

先に浴槽のお湯で体を流してから入る関西では、関東で使われているサイズだとお湯をすくった際に重すぎる他、お湯を使いすぎてしまってもったいない。このことから、関西版は一回り小さく作られているそうです。

昭和43年をピークに減少を続け、最盛期の約4分の1以下の3500軒を切るまでになってしまった昔ながらの銭湯。

一方で、スーパー銭湯と呼ばれる、新しいタイプの銭湯は逆に増加しており、ここ東久留米にあるスパジアムジャポン、通称スパジャポは、広い敷地にたくさんのお風呂がある全国屈指の大型スーパー銭湯として、テレビや雑誌にも取り上げられています。

最近になり、昔ながらの銭湯をリニューアルした「デザイナーズ銭湯」と呼ばれる新しい形の銭湯も増えてきています。

かつての伝統的な宮造り、番台方式とは異なり、外観はモダンなデザインで、フロントロビー式の、若者にも喜ばれる斬新なものとなっているようです。

デザイナーズ銭湯の特徴は、伝統的な部分を残し、その場所にあった新しいコンセプトで、個性的な外観や内装を工夫している点。

この連休、ご近所にある昔ながらの銭湯に行って、普段あまり飲むことのないフルーツ牛乳、お風呂上がりに腰に手を当てて、飲んで見ませんか。

参考資料

関西では中央に浴槽:銭湯、東西でこんなに違う おけ・浴槽・カラン…|NIKKEI STYLE

https://blooming-days.njs.xyz/m4ff

関東と関西では銭湯の湯船の位置が違う! 知って楽しい【くらべる東西】 | ダ・ヴィンチニュース

https://blooming-days.njs.xyz/e5o6

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。4/26分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

見るラジオ

今回は、気球に乗って空をお散歩する気になってラジオ番組を聴く、そんな気分になれるような動画を作ってみました。

今回使用している動画は、下記のものを使用させていただいています。

動画について

Vol 2016 05 06 gopro-Bernard BARILLON-
https://www.youtube.com/watch?v=I_knKsXkjts

動画内で使用している楽曲は、次世代を担うミュージシャンたちのものです。気になる曲があったらリンク先サイトを覗いてみて下さい。

動画内音楽について

Other Side by Mac A DeMia
https://artlist.io/song/61450/other-side

One More Note by Todd Kessler
https://artlist.io/song/60249/one-more-note

Love You Any Way by Michael Shynes
https://artlist.io/song/58436/love-you-any-way

Doctor Juice by Leon Laudenbach
https://artlist.io/song/58913/doctor-juice

Super Music Wide