Blooming Days,April’19 | 倉嶋桃子|85.4MHz FMひがしくるめ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,April’19

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2021年4月19日(月)

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

事務所がある周辺地域では、散ってしまった桜の花びらが風と共に端の方へ追いやられ、桜の木は若々しい緑色の葉で覆われています。
その足元には、桜の花に代わって可愛らしい黄色い花が咲き揃いはじめ、季節が更に進んでいることを感じさせてくれます。

この黄色の花の名前は、「ヤマブキ」。絵の具の「ヤマブキ色」でもお馴染みの花で、別名「面影草(おもかげぐさ)」とも言われています。
見ごろの時期は4月下旬から5月上旬で、北海道から九州まで広く日本に分布しており、一重咲きと八重咲きと二種類あります。
古くは万葉集や源氏物語の中にも登場する花で、現在でも俳句や短歌の晩春を表す季語として用いられています。

一重咲きのヤマブキの特徴は、細くしなやかな枝に縁がギザギザした葉をつけ、葉の表面は毛が生え、表が濃い緑色に対し裏は淡い緑色、花弁は5枚。9月頃になると、こげ茶色の実を付けます。

八重咲きのヤマブキは、一重咲きに比べて大きく育ち、咲く時期も一重咲きのものより少し遅れて開花します。
また、八重咲きのめしべは花びらのように変化していておしべは退化してしまったため、実はつかず、地下茎を伸ばして成長するという特徴があります。

どちらのヤマブキの花も、咲き出してから比較的長い期間咲き続ける花ですので、この時期に色鮮やかなヤマブキの花を楽しんでみて下さい。

ちなみに、例年京都市西京区嵐山の「松尾大社」では、「ヤマブキ祭り」が開催されているそうです。こちらは、関西一のヤマブキの名所として知られており、境内には約3,000株の山吹が植えられているとのこと。

今年2021年は、4月10日(土)~5月5日(水・祝)まで開催中。松尾大社の公式のホームページには、境内の満開の様子が見られるようになっていますので、ぜひ参考にご覧ください。

参考資料
ヤマブキ(山吹)とは?その特徴と育て方をご紹介?見頃の季節はいつ?

https://botanica-media.jp/212

ヤマブキとは?見ごろの時期と育て方をご紹介!自分で黄色の花を見届けよう!
https://kurashi-no.jp/I0017038

松尾大社 山吹まつり
https://www.digistyle-kyoto.com/event/4001

それでは、本日の放送内容です。

「Interest」in bloom-その1-

今から124年前の1897年4月19日、アメリカ・ボストンで、第1回ボストンマラソンが開催されました。

ボストンマラソンは、ワールド アスレティックス プラチナ ラベルのマラソン大会であり、ワールドマラソンメジャーズの一つで、参加には資格タイムを満たしている必要があるため、「選ばれしもののマラソン」と称され、完走者の平均タイムがワールドマラソンメジャーズの中でも抜きん出て速く、大半が4時間未満でゴールする大会です。

今日の「Interest」in Bloomでは、「ボストン・マラソンについて」のあれこれをお送りいたします。


ボストン・マラソンのお話あれこれ

1897年に創始された、近代オリンピックに次いで歴史の古いスポーツ大会の一つで、アメリカ独立戦争が開戦した4月19日を「愛国者の日」とし、それを記念して第1回が開催されました。
歴史を受け継ぎ、現在も例年4月の第3月曜日の愛国者の日に開催されています。

ホプキントンからスタートし、ゴール地点のコプリー・スクエアまで、高低差124メートル、折り返しのないコースが特徴で、トップアスリートのほか、派手な格好でパフォーマンスするランナーも参加するなど、ユニークさでも断トツ。
世界規模のマラソン大会として初めて、女子ランナーの参加や車いすでの参加を認めたことでも知られています。

ボストンマラソンは、オリンピックや世界陸上同様に、ペースメーカーがいないため、最初から最後までランナー同士の駆け引きが見られるのも、ボストンマラソンの魅力と言われています。

優勝賞金は、15万ドル。
世界記録を出した場合には、ボーナスとして5万ドル、大会記録を出した場合は2万5千ドルを手にすることが出来ます。

優勝者は50年後の大会に招待され、レースに参加することも可能で、優勝者から15位まで賞金が設定されており、世界中から一攫千金を狙って、有名なランナーが集結してくる大会です。

2017年の大会では大迫傑(おおさこ すぐる)選手が初マラソンとして参戦し、2時間10分28秒で第3位に。
2018年には川内優輝(かわうち ゆうき)選手が瀬古利彦選手以来31年ぶりの優勝を果たしました。

ボストンマラソンは、世界の大きなマラソンで初めて女子の参加を認めた大会ですが、決して簡単に実現したものではありませんでした。
1960年代まで、女性がマラソンを走ることは、生理的に困難であるという見解が、陸上競技の関係者の間でもごく当たり前に語られていました。

1966年、ロベルタ・ギブが初めてレースを完走しましたが、主催者側は未登録参加のギブを「同時刻に同じコースを走った通行人」として記録を認めませんでした。

翌1967年にはキャサリン・スウィッツァーが性別を悟られないように”K.V.スウィッツァー”というイニシャルで登録して、レースに強行参加。

主催者側は出場を認めていないとして、彼女を排除しようとしましたが、他の男性ランナーに守られてゴールにたどり着きました。

1968年からは、主催者側も女性が走ることを黙認するようになり、1969年には女子トップでゴールしたサラ・バーマンを「女子優勝者」と認定しました。
その後、アメリカで公式に女性のマラソン記録が認められるようになったのが1972年の大会から。
そして、この大会から正式に女子の参加が認められるようになりました。

1980年の大会で女子の先頭を切ってゴールしたのは、ロージー・ルイーズという選手でした。
しかし、レース途中で彼女を見ていないという複数の証言や、ゴールしたときに彼女のウェアにほとんど汗がついていなかったこと、またゴール800m手前の地点で、群衆の中から彼女が飛び出してきたという目撃証言などから、主催者側は彼女が途中で何らかの方法で近道をしたと判断し、失格としました。

なお、彼女は前年のニューヨークシティマラソンにも参加していますが、その際にも彼女が地下鉄に乗っていたという証言がありました。
こうしたマラソンの「キセル」は、1904年のセントルイスオリンピックでも起きていますが、草創期ならともかく現代のマラソンで、こうした事件が起きたことは多くの人を驚かせました。

また、2007年に行われた大会では、国際宇宙ステーションに滞在中の女性宇宙飛行士、スニータ・ウィリアムズがボストンマラソンに参加。

NASAを通じて電子メールで送られた14000番のゼッケンをつけて、トレッドミルで42.195kmを4時間24分で完走しました。

宇宙からのマラソン大会への正式参加はこれが初めてでしたが、2016年4月に行われたロンドン・マラソンには、国際宇宙ステーションに滞在中のイギリス人宇宙飛行士ティム・ピークが、地上で開催されたロンドン・マラソンと同時に、宇宙でのフルマラソンに挑戦し、新記録となる3時間35分21秒で完走しています。

近い将来、宇宙マラソンだけでなく、自宅からでも参加できる「自宅マラソン」が登場する日は近いかもしれません。

「Interest」in bloom-その2-

第55回ボストンマラソンでは、日本人で初参加の田中茂樹選手が優勝しています。

田中選手は、中国山地山間の農村・敷信(しのう)村生まれ、学校までの4キロの砂利道を走って通ったことが、ランナーの原点で、広島県比婆西高等学校在学中の1949年から、中国駅伝で三年連続区間賞を獲得するなどで頭角を現し、各地のロードレースで活躍しました。

1951年、海外派遣選手の予選会になった山口の大会で、2時間28分16秒の戦後の、世界最高記録をマーク、19歳で日本が初参加したボストンマラソン、代表の一人となりました。


第55回ボストンマラソン優勝者 田中茂樹選手のお話

日本は戦後初のロンドンオリンピックには出場が許されず、世界的な規模の大会に出るのはボストンマラソンが初めてで、「負けたら捕虜にされる」と思った田中選手は、眠れなかったといいます。

田中選手は、ボストン到着後、国防総省の関係者から連行され、多くの被爆写真を見せられ「これは本当なのか」と尋問を受け、翌日のアメリカの新聞は田中選手を「アトムボーイ、全滅したと思われた広島から選手が出場する」、と大きく書きたてました。

当時の多くのアメリカ人の日本に対する認識はこの程度でしたが、4月19日レース当日、田中選手は「原爆で負けたと言われたくない」と奮起し、2時間27分45秒で見事優勝を飾ります。

指又(ゆびまた)のあるマラソン足袋を履いて走った田中選手がゴールすると、「日本人の足の指は2本しかないのか」と訝(いぶか)しんでいた外国人新聞記者達が血相を変えて 「早く靴を脱げ」と田中選手にに迫ったそうです。

田中選手自身は、広島の山奥育ちで原爆と関係はありませんでしたが、「19歳の原爆ボーイに栄冠」「敗戦国の日本が戦勝国に乗り込んでの勝利」などと、田中優勝を伝えるビッグ・ニュースが世界を駆け巡りました。

敗戦で肩身の狭い思いをしていたアメリカ在住の日本人は、涙を流して喜び、敗戦以来アメリカの地で「おれは日本人だ」と心の底から叫ぶことが出来たのは、この時が初めてであったろうといわれました。
その夜、田中選手は黒人達にバーに連れ出され「お前は凄い。俺達は白人には勝てない」と祝福されたそうです。

田中選手の優勝は日本人としてベルリンオリンピックで優勝した孫基禎(そん きてい)を除けば、日本人選手の主要マラソン優勝第1号であり、戦後の日本陸上界の空白を一気に埋めた優勝で、日本人として戦後の国際舞台での初めての優勝であったため、敗戦に打ちひしがれていた日本国民を、大いに勇気づけ、国民的英雄ともなりました。

帰国後、田中選手は広島駅で待ち受けていた人々に見つかり、無理やり木炭トラックに乗せられ、故郷の敷信村まで凱旋パレードとなりました。
沿道は小旗を振る人達で溢れ、連日の歓迎会は地獄だったと回想しています。

日本の戦後オリンピック復帰となるヘルシンキオリンピックが翌年に迫り、オリンピックも勝てる、と言う周囲の重圧が田中選手を苦しめました。
のちに「円谷幸吉(つぶらやこうきち)の気持が痛いほど分かるよ」と語ったそうです。
田中選手は、その後、日本大学に進みましたが膝に軟骨が出る故障を起こし、回復が遅れ練習不足のまま1952年、代表選考レースとなった毎日マラソン(現・びわこ毎日マラソン)に出場しましたが惨敗。

オリンピック出場は成らず、故障の悪化で大学時代に競技生活を終え、ボストンマラソン優勝を唯一の勲章に現役を退きました。

その後は西武百貨店などに勤務し、日本陸上競技連盟理事、全国マラソン連盟会長などを務め、1999年には、地域ランナーを育てる陸上クラブ「東京ハリアーズ」を旗揚げしました。

ボストンマラソンの大会本部が出している、公式歴代優勝者名簿の欄には「Hiroshima Japan」と田中選手一人だけが、国名以外に出身地まで記載されています。

「Interest」in bloom-その3-

明治時代、長距離走者は「軽い方が有利」ということで、普通の足袋を履いてマラソンを走っていました。
しかし、1911年に開かれたストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会で、金栗四三(かなぐりしそう)が履いていた足袋は、長距離走行に耐えきれずボロボロになり、彼がゴールした時は裸足だったと言われています。


マラソン発展に大きく貢献したマラソン足袋のお話

その後の練習でも足袋は、すぐにすり減ったため、金栗は在学していた東京高等師範学校(学制改革により東京教育大学、現 筑波大学)近くで、足袋屋「播磨屋足袋店」を営む職人・黒坂辛作(くろさかしんさく)に足袋の改良を依頼し、ストックホルムオリンピックに臨みました。

しかし、足袋の底を三重に補強して、マラソン用の足袋を完成させましたが、ストックホルムは、土の道路であった日本とは異なり、石畳だったため、足袋底を補強しただけでは足への衝撃を吸収できず、金栗は足を傷め、しかも、炎天下のため、26㎞付近で意識を失って脱落してしまいました。

帰国後、金栗はさらなる改良を黒坂に依頼し、大正8年(1919年)、足袋の底に、ゴムを貼り付けたマラソン足袋を完成させ、金栗四三の名前をもらって「金栗足袋」として大々的に売り出し、昭和13年ごろまで学校の定番足袋となりました。

1928年のアムステルダムオリンピックで山田兼松(やまだかねまつ)、津田晴一郎(つだせいいちろう)が入賞、1936年のベルリンオリンピックで孫基禎(そん きてい)が金メダル、南昇竜(なん しょうりゅう)が銅メダルを獲得するなど、この金栗足袋を使用した選手はオリンピックで好成績を残しました。

そして、「金栗足袋」にさらに改良を加え、足袋の「こはぜ(金具)」を取り外して、ランニングシューズのように、甲の部分を紐で結ぶ日本初の国産ランニングシューズ「カナグリシューズ」を開発しました。

翌1951年(昭和26年)、金栗は念願だったボストンマラソンに選手4名を送り込み、田中茂樹は期待に応えて見事優勝を果たしました。
ただし、このときの田中は、マラソンシューズではなく、従来の”マラソン足袋”で快挙を成し遂げています。

その理由をハリマヤ3代目社長、與田誠一氏はこう語ります。
「先がすぼまったシューズの履き心地にまだ慣れず、窮屈に感じたのかもしれません。当時の日本人の足型は草履や下駄を履いていたせいで、足先にいくほど扇型に広がって、親指が大きかった。そのため、田中選手は親指が独立した二股のマラソン足袋を選んだのでしょう」

1951年に田中茂樹が優勝した2年後の1953年、ボストンマラソンに出場した日本人選手は、すべて国産初のマラソンシューズ「カナグリシューズ」を履き、その一人の山田敬蔵は、2時間18分51秒という驚異的な世界新記録で優勝し、世界を驚かせました。

日本人の足型に合わせて”しゃもじ”のように大きく膨らんだシューズで、足袋を知らない外国人選手から奇異な目で見られたそうです。

その後、指先が分かれたスタイルではキック力が減殺されるという考えから、戦後に創業したオニツカタイガー(アシックス)が、昭和34年(1959年)につま先が割れていないランニングシューズ「スーパーマラップ」を発売します。

さらに、ランナーが足にマメが出来て苦しんでいることに着目し、昭和35年(1960年)、オニツカタイガー(アシックス)がマメのできない「マジックランナー」を開発すると、ハリマヤは「マジックランナー」にだんだんとシェアを奪われていきました。

オニツカタイガーの「マジックランナー」を履いた君原健二が、昭和43年(1968年)のメキシコ・オリンピックで銀メダルを獲得し、マラソン足袋時代は終焉を迎えました。

ハリマヤがマラソン足袋から手を引いた後も、他社によって同様の製品は改良が続けられ、マラソン足袋、ランニング足袋として販売されています。
きねや足袋の製品は2017年にドラマ化された『陸王』で使用されています。
金栗の出身地・玉名市では、金栗が当時履いていたカナグリ足袋を再現したランニング足袋アルファベットで『KANAKURI』をふるさと納税の返礼品としています。

参考資料

ボストンマラソン – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/z2bo

田中茂樹 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/mdv8

『陸王』が掘り起こす「幻のハリマヤシューズ」もうひとつの職人物語|陸上|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://blooming-days.njs.xyz/kdpc

バブルに消えたハリマヤシューズ。日本の「ものづくり」よ永遠に|陸上|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://blooming-days.njs.xyz/7rkg

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。4/19分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

見るラジオ

今回は、雪中キャンプをしながらラジオ番組を聴く、そんな気分になれるような動画を作ってみました。

今回使用している動画は、下記のものを使用させていただいています。

動画について

-7℃の極寒雪中キャンプ2泊3日【第1夜】伊豆のぬし釣り
https://www.youtube.com/watch?v=SAxsTFEF6WE

【雪中キャンプ】薪ストーブで吞んだくれる2泊3日【第2夜】伊豆のぬし釣り
https://www.youtube.com/watch?v=ByJr44trsJg

動画内で使用している楽曲は、次世代を担うミュージシャンたちのものです。気になる曲があったらリンク先サイトを覗いてみて下さい。

動画内音楽について

How Does She Know? by Steven Beddall
https://artlist.io/song/61075/how-does-she-know?

I Only Watch It for the Weather by The Delegates
https://artlist.io/song/48961/i-only-watch-it-for-the-weather

Bloody Mary by Skipp Whitman
https://artlist.io/song/44271/bloody-mary

Lovedrunk by Anthony Lazaro
https://artlist.io/song/44135/lovedrunk

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