Blooming Days+,March’16 | 倉嶋桃子|79.1MHz KOCOラジ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days+,March’16

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2021年3月16日(火)

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

2021年2月26日、中国は3月1日からの台湾産パイナップルの輸入停止を発表した、というニュースが突如流れてきました。

その後、SNS上でも台湾産パイナップルが注目され、日本向けの輸出量が今後増えるのではないかといった話題も多く取り上げられているようです。

実は、私倉嶋は好き嫌いがないことを自負していますが、唯一苦手な食べ物というと、パイナップル。
昔下宿していた先で出てきたパイナップルを食べたところ、熟していないもので、口の中が味覚がわからなくなるほど荒れてしまい、そのことが記憶に強く残っているせいか、パイナップルを見ただけで、口の中が梅干しを食べるときのような状態になってしまうのです。

このパイナップル、ブラジルが原産の果物で、Pine(松かさ)になるりんご(Apple)という意味で松ぼっくりを指す言葉だったようですが、その後、それとよく似た形をしたこのパイナップルがまさに松ぼっくりのような形をしていて、リンゴのような甘酸っぱい味わいという事で、こちらの名詞にとってかわったとされています。

主な産地は、タイやブラジル、コスタリカ、フィリピンで、国内への輸入量で一番多いのはフィリピンからのもの。通年安定して輸入されています。

ちなみに、国内では沖縄県と鹿児島県で少量生産されているだけで、旬は初夏から夏の時期だそうです。

今回注目している台湾産のパイナップル、主に「台農17号」という品種が使われているようで、輸入代理店や販売会社などが「金鑚パイン」や「はちみつパイン」「キャラメルパイン」「金華パイン」などブランド名を付けて販売しており、樹になった状態である程度完熟させて日本に入ってくるので、パイナップル特有の酸味が少なく甘味が強め、真ん中の真の部分まで柔らかく食べることができるとのこと。

台湾産のパイナップルは、3月下旬頃から出回り始め夏の時期まで収穫が続くとのことですが、今年はすでに大手スーパーや通販サイトでも大きく取り上げられ販売数も増えているようです。苦手な私も少し試してみようかと思います。

参考資料

中国に禁輸された台湾パイナップル問題の本質
https://toyokeizai.net/articles/-/415397

「台湾パイナップル」こんなに甘~い 柔らかまろやか、パフェ作ってみた
https://blooming-days.njs.xyz/kj0x

パイナップル(パインアップル):主な品種や産地と旬の時期
https://blooming-days.njs.xyz/a9rt

それでは、本日の放送内容です。

桜吹雪が全てを語る、名奉行遠山の金さんのお話-その1-

昨日のFMひがしくるめの放送では、3/15が、江戸幕府8代将軍 徳川吉宗が 大岡忠相を江戸 南町奉行に登用した日、ということで、時代劇の題材にもなった「江戸町奉行大岡忠相」についてお送りしました。
今日のココラジでは、「桜吹雪が全てを語る、名奉行遠山の金さんのお話」をテーマにお話お送りいたします。


遠山景元とは

「遠山の金さん」といえば、桜吹雪の彫り物が有名ですが、皆さんは「遠山の金さん」を見たことはありますか?

この『遠山の金さん』『江戸を斬る』のモデルとして知られる遠山景元ですが、長崎奉行を務めた遠山景晋(とおやまかげみち)を父に生まれ、景晋の義弟景善の養子となります。
文化6年(1809年)、名前を父の通称であった金四郎に改名。
文政7年(1824年)末に景善が亡くなったため、翌年の文政8年(1825年)に江戸幕府に出仕、江戸城西丸(にしのまる)の小納戸(こなんど)に勤務し、当時世子(せいし)(嫡男:跡継ぎの子))だった徳川家慶の世話を務めました。

その後、天保6年(1835年)に小普請奉行(こぶしんぶぎょう)に転任、天保8年(1837年)に作事奉行(さくじぶぎょう)、天保9年(1838年)に勘定奉行(公事方)、天保11年(1840年)には北町奉行に就きました。

天保12年(1841年)に始まった天保の改革の実施に当たっては、町人の生活と利益を脅かすような極端な法令の実施には反対、南町奉行の矢部定謙(やべ さだのり)と共に老中水野忠邦や目付の鳥居耀蔵(とりい ようぞう)と対立しました。

寄席の削減についても水野と対立、寄席の全面撤廃を主張する水野に対し、景元は芸人の失業と日雇い人の娯楽が消える恐れから反対、結果として水野の方針より大幅に緩和したものの、寄席は一部しか残らず、興行も教育物しか許されませんでした。

天保12年11月、水野が鳥居の進言を受けて芝居小屋を廃止しようとした際、景元はこれに反対して浅草猿若町(さるわかちょう)への小屋移転だけに留めたり、株仲間の解散令を町中に流さず将軍へのお目見え禁止処分を受けたり、床見世(とこみせ:現在の露店に相当する)の取り払いを企てた水野を牽制したり、人返しの法にも反対して実質的に内容を緩和させるなど、ことごとく改革に抵抗する姿勢を保ったそうです。

この景元の動きに感謝した関係者が景元を賞賛する意味で芝居にしたのが『遠山の金さん』ものの始まりと言われています。

天保の改革というのは、老中・水野忠邦が主導した幕政改革で、財政再建、物価の安定、風紀是正などの政策を進めたものの、激しい反対があり頓挫したと言われています。

この当時、たくさんの町触れがありますが、遠山景元が抵抗した「歌舞伎や寄席などの芝居見物の禁止」など風俗の取締以外にも、物価引き下げ令というお触れも出回り、賃金・家賃など強制的に引き下げるよう命じたりしていました。

例えば、お豆腐は一丁48文で販売せよというような通達が出され、ほとんど利益なしで販売しなければならなかったようです。
ただ、お上の申し付けなので背くわけにはいかないものの、切り方を変えて小型化して販売するという者が現れ、町奉行所では、販売価格を52文に引き上げてもいいが、大きさを変えて販売してはならないと言うことを申し渡したそうです。

ちなみに今の豆腐の一丁は、江戸の豆腐の1/4丁に当たる小半丁に近いということのようです。
この頃、そば一杯が二八の16文と言っていた時代ですから、かなりいいお値段です。

日銀で出している子供向けの冊子に「江戸時代の一両は今いくら?」というものがありますが、これで見ると19世紀後半武蔵国の場合ですが、1両でお豆腐270丁買えたそうです。
1丁100円で換算すると1両の価値は27,000円。
ただ、大工賃金で換算すると1両で1日23人の大工さんが雇えたと言われているので、1日3万円で計算すると69万円、当時のお豆腐はお高いものだったのでしょう。

他、倉嶋とディレクター小出との詳しいお話の内容は、ポッドキャストをお聴きください。

参考資料

遠山景元 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/45si

天保の改革 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/5mgr

天保改革と江戸の食
https://blooming-days.njs.xyz/0g5d

桜吹雪が全てを語る、名奉行遠山の金さんのお話-その2-

遠山の金さんといえば、桜吹雪の彫り物が有名ですが、これには諸説あり、「右腕のみ」や「左腕に花模様」、「桜の花びら1枚だけ」、「全身くまなく」と様々に伝えられています。
元幕臣中根香亭『帰雲子伝』(明治26年)によれば「遠山は二の腕から肩にかけて彫物をしており、その図柄は、髪を振り乱して口に文をくわえた美人の生首だった」としています。
しかし、彫物を禁止するよう水野忠邦に進言していた遠山本人が彫物をしていたとは考えられず、実際に二の腕に彫物をしていた町奉行、根岸鎮衛(しずもり、やすもり)のことが、遠山のこととして語られるようになったと思われる」と、疑問を呈しています。


彫り物と刺青の違いとは

この彫り物、刺青とも言いますが、この違いご存知でしょうか?

実は、この「刺青」や「彫り物」と言う言葉、歴史的に見ると全く違うものです。
そもそも、日本における刺青の歴史は古く、縄文~弥生時代には盛んに刺青が行われていたようです。
中国の歴史書『魏志倭人伝』には、女王・卑弥呼が君臨した邪馬台国の男性は誰もがみな体はもちろん顔にまで刺青を施していたと書かれています。
遺跡から発掘される土偶からも、当時の刺青文化をしのぶことができます。

当時の刺青は魔除け、呪術的な意味合いのものだったそうですが、奈良時代以降、中国から伝来した儒教の影響もあり刺青文化は、アイヌや琉球を除き、ほとんど廃れてしまいました。

江戸時代の初め頃なると、侠客といった渡世人たちの間で、お守りとして「南無阿弥陀仏」などの経文を肩の先に彫ることが行われたり、大坂や京など上方の遊女たちの間でブームになったそうですが、江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始めたことから、犯罪の抑止を図る目的で入墨刑が用いられるようになり、そのようなことから江戸の後期頃になると、罰としての「入墨(いれずみ)」(烙印)と、「彫り物(ほりもの)」(芸術表現)とで分けて呼ぶようになりました。

「入墨刑」は刑としては軽いもので、軽い盗みを働いた罪人が追放刑や敲(たたき)刑に処せられると、オプションとして入墨を施されました。ちなみに、入墨刑を科せられるのは町人だけで武士には適応されませんでした。

この入墨刑の刺青はどのようなものかというと、江戸の場合は、左腕の上腕部を一周する1本ないし2本の線(単色)の入れ墨や、額に段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあったそうです。

庶民文化が花開いた江戸時代後期、刺青文化も最盛期を迎えます。

このブームの火付け役は、中国の人気小説『水滸伝』。翻案物が多く出版され、寄席・講談などで演じられるなど水滸伝ブームが起こり、物語に登場する豪傑たちの活躍を刺青にするのが明治期まで流行したようです。

江戸時代末期には、歌川国芳を代表とする浮世絵などの技法を取り入れて洗練され、装飾としての入れ墨の技術が大きく発展しました。

背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれ、額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな入れ墨の技法は、この時代に完成されたそうです。

11代将軍徳川家斉の文化年代(19世紀前半)に入れ墨の流行は最高潮に達し、博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業では、入れ墨をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになりました。

下総小見川(おみがわ)の藩主内田正容(うちだまさかた)に至っては、一万石の知行を持つれっきとした大名でありながら入れ墨を入れていたお調子者だったそうで、幕府から不行跡(ふぎょうせき)を理由に隠居を命ぜられています。
ここで、遠山の金さんも老中の水野忠邦に刺青の禁止を進言したということなので、広く伝えられている金さんの桜吹雪の刺青は、やはりなかったのではないかと推測されています。

当時の武士階級の間では、入れ墨のある身体を斬ることに対して、その呪術性への恐れから生じた忌避感情が存在していたとも言われており、市中では刀を持てない町人にとって、刃傷沙汰を避ける自衛策としての側面もあったと言われています。

他、倉嶋とディレクター小出との詳しいお話の内容は、ポッドキャストをお聴きください。

参考資料

遠山金四郎(遠山景元)は本当に桜吹雪の刺青をしていたのか。
https://blooming-days.njs.xyz/pu3c

根岸鎮衛 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/vcom

江戸時代の刺青を徹底紹介!罪人に彫られた入墨刑が恥ずかし過ぎる
https://blooming-days.njs.xyz/h1ah

桜吹雪が全てを語る、名奉行遠山の金さんのお話-その3-

先ほどいただいたメッセージの中で銭形平次のお話がありましたが、銭形平次は神田明神下に住む岡っ引の平次が、子分の八五郎と共に卓越した推理力と寛永通宝による「投げ銭」を駆使し、事件を鮮やかに解決していくというお話でした。


銭形平次からみる「岡っ引」という役割について

wikipediaを見ると、岡っ引(おかっぴき)とは、江戸時代の町奉行所や火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)などで警察機能の末端を担った非公認の協力者と書いてありました。
今でいう警察といった立場の方だと思われていますが、公務員ではなかったようです。

正式には江戸では御用聞き(ごようきき)、関八州では目明かし(めあかし)、上方では手先(てさき)あるいは口問い(くちとい)と呼んでいて、各地方で呼び方は異なっていたようです。
岡とは脇の立場の人間であることを表し、公儀の役人(同心)ではない脇の人間が拘引することから岡っ引と呼ばれたそうです。
また、岡っ引は配下に下っ引と呼ばれる手下を持つことも多かったとか。

江戸の場合、南町・北町奉行所には与力が各25騎、同心が各100人配置されていましたが、警察業務を執行する廻り方同心は南北合わせて30人にも満たず、人口100万人にも達した江戸の治安を維持することが困難であったため、同心は私的に岡っ引を雇い、江戸の町には、岡っ引が約500人、下っ引を含めて3000人ぐらいいたといわれています。

岡っ引きは、奉行所の正規の構成員ではなく、俸給も任命もなく、同心から手札(小遣い)を得ていました。
同心の屋敷には岡っ引のための食事や間食の用意が常に整えてあり、いつでもそこで食事ができたそうです。
ただし、岡っ引を専業として生計を立てた事例は無く、女房に小間物屋や汁粉屋をやらせるなど家業を持ったそうです。

岡っ引きの起源は、軽犯罪者の罪を許し手先として使った「放免」だと言われています。
武士は市中の落伍者・渡世人の生活環境・犯罪実態について不分明なため、捜査の必要上、犯罪者の一部を体制側に取り込み情報収集のため使役する必要があり、その内部社会に通じた者を使わなければ捜査自体が困難だったからという理由だそうです。

『半七捕物帳(はんしちとりものちょう)』や『銭形平次』などの時代劇において、岡っ引は常に十手を預かっているかのように描かれていますが、実際は奉行所からの要請に基づき事件のたびに奉行所に十手を取りに行ったとされています。

十手を携帯する際も見えるように帯に差すのではなく、懐などに隠し持っていて、時代劇で見る房のついた十手は、同心以上に許されるものだったので、岡っ引の十手には付いていないそうです。ましてや紫色の房は要職の者が付けるものであり、岡っ引が付けることは、あり得ないそうです。

他、倉嶋とディレクター小出との詳しいお話の内容は、ポッドキャストをお聴きください。

参考資料

岡っ引 – Wikipedia
https://blooming-days.njs.xyz/czz8

郡山市民検定

このコーナーは、郡山を離れて30年経つ倉嶋さんが、きちんと郡山のことを覚えているいるかどうか確認するコーナーです。

生まれ育った地ですから知っていて当たり前の事なんですが、もし1問も正解することができなかった場合、郡山出身の西田敏行さんのモノマネをしていただきます。

3問全問正解を累計10回獲得した場合、心躍る素敵な商品をご進呈致します。


今回も…。

お話色々と盛り沢山となったためお休みとなります。
またの機会までお待ちください。

さて、本日は「桜吹雪が全てを語る、名奉行遠山の金さんのお話」をテーマに、お話お送りいたしました。

番組では、放送内容他、ポッドキャストのみ聴くことができる放送内容の予告、放送を振返る放送後記、そして、毎週月曜日に放送しているFMひがしくるめの放送内容など、ポッドキャスト配信をしています。

皆さんのお好きな時間に、お好きな楽しみ方を、ぜひお試しいただければと思います。

見るラジオ

今回は、ビドゴシュチュの中心部からわずか3kmの場所にある、ポーランドで最大の都市公園、自然あふれる「ミシレンチネク公園」を散策しながらラジオを聴く、そんな動画を作ってみました。

使用している動画は、下記のものを使用させていただいています。

動画について

Myślęcinek – walking tour in 4K, Bydgoszcz | Poland
Kondel Walking Tours
https://www.youtube.com/watch?v=zVrsnLPSyCI

動画内で使用している楽曲は、次世代を担うミュージシャンたちのものです。気になる曲があったらリンク先サイトを覗いてみて下さい。

動画内音楽について

Dreaming of Us by Space Doves
https://artlist.io/song/56050/dreaming-of-us

Afternoon in Rio by Wesly Thomas
https://artlist.io/song/55329/afternoon-in-rio

Back ‘N’ Forth by MILANO
https://artlist.io/song/55261/back-n-forth

Back Together by Far West
https://artlist.io/album/4398/back-together

Podcast

放送をお聞きいただいた皆様、メッセージをいただきました皆様、本日もありがとうございました。

番組では、特設サイトのメッセージボード、または、KOCOラジの メッセージフォームにて、皆様からのメッセージ、ご感想をお待ちしております。

次回も、「Blooming Days PLUS-日々是好日-」で、皆様とお耳にかかれることを楽しみにしております。