Blooming Days,March’08 | 倉嶋桃子||85.4MHz FMひがしくるめ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,March’08

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2021年3月8日(月)

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

最近のコンビニエンスストアのスイーツ売場には、桜の花をイメージするピンクの色合いのものやさくら味のデザートといった、春の季節感を、舌や目からも楽しめるような新製品が沢山並んでいます。

このさくら味、江戸時代に誕生して食べられるようになった桜餅が由来といわれ、長命寺というお寺で門番をしていた山本新六という人が、塩漬けにした桜の葉で餅をくるんだ桜餅を考案したことが始まりだとされています。

桜餅の独特な風味や香りは、桜の葉に含まれている「クマリン」という成分で、桜の葉に多く含まれていますが、木から生えている状態ではこの独特な葉の香りはせず、乾燥させて塩漬けにしたり、粉砕したりすることで、桜の葉の細胞が壊され細胞外の酵素と反応し、さくら味の風味の素である「クマリン」が生成されるとのこと。

このクマリンという成分は、さくら味の素ですが、毒性があるそうで、落ちたさくらの葉が桜の木の周囲の植物の成長を抑制したり、発芽を阻止する効果があるとか。
これは桜の木自身が身を守りつつ、効率よく成長するためと考えられています。

毒性のある成分クマリンは、桜の葉にあるので、桜餅を食べるときに葉の部分を一緒に食べても大丈夫だろうかと心配になるかと思いますが、過剰摂取をしなければ人体への影響はないとのことです。

もうすぐ春本番。
目や耳、味覚、嗅覚など五感をフルに使って楽しんでいきましょう。

参考資料

さくら味って何味?~桜の風味を生み出す成分「クマリン」とは~
https://mikakukyokai.net/2019/03/19/sakura-aji/

さくら味とは結局どんな味?本当に桜の味がするのか調査
https://blooming-days.njs.xyz/7nun

それでは、本日の放送内容です。

「Interest」in bloom-その1-

今日3/8は、渋谷駅のシンボルともなっている忠犬ハチ公の命日です。
東京・渋谷駅まで、飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主が亡くなった後も、約10年にわたって通い続けたという白い秋田犬、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれています。
今日の「Interest 」in bloomでは、映画やテレビドラマにもなった忠犬ハチについてお送りいたします。


ハチと上野博士との出会い

ハチは1923年(大正12年)11月10日、今の秋田県大館市、北秋田郡二井田村(にいだむら)大子内(おおしない)の斉藤義一宅に、八頭の兄弟で誕生しました。
父犬の名は「オオシナイ(大子内)」、母犬の名は「ゴマ(胡麻)」で、生まれた時は赤毛の子犬でした。

生後間もないハチは、1924年(大正13年)1月14日、米俵に入れられて大館駅を出発、急行列車の荷物車にて、20時間の移動後、当時、秋田犬の仔犬を飼いたいと所望していた東京帝国大学農学部で教授を務めていた上野英三郎の元に届きました。

上野英三郎は、三重県出身で、明治28年に東京農科大学農学科を卒業し、大学院を経て東京帝国大学に勤めながら、農商務省、内務省を兼務し、耕地整理、土地改良事業の計画に参与し、当時は、農業工学講座を担当していました。

この当時は、農業土木学の専門技術者は皆無であり、農業土木を研究していた唯一の学者が上野博士だったため、研究と共に3,000人を超える技術者を育てました。
そして、育てられた技術者たちが関東大震災後の帝都復興事業に重要な役割を果たしたことは、実はあまり知られてはいません。

上野博士は、接待をいっさい受けつけない高潔な人柄で、また、後進たちへの支援を惜しまない教育者でした。
青森で働く教え子の一人が電話で「何かお礼に青森の名物でも送りたいのですが」というので、「それなら秋田犬でもぉ…」と返事をしたことが、ハチと上野博士の出会いのきっかけでした。

当時、上野博士は53歳、八重夫人は39歳でした。
上野宅には他に養女つる子さん夫妻、書生の尾関才助さん、女中のおとよさん、おせいさん、おとしさんが一緒に暮らし、翌月には、つる子さん夫妻に長女久子さんが誕生しました。

上野博士の居宅は、現在の渋谷区松濤一丁目付近にあり、現在の東急百貨店本店の裏「Bunkamura」の富ヶ谷へ行く道に面した石段および同本店商品搬入口部分、同道路からその石段を左に折れた道の一区画行ったところまでおよび、200坪以上あったと伝えられています。
ハチは、この広い敷地で、「ジョン」と「エス」という二頭の犬たちと共に飼われました。
このうちポインター犬のジョンは、特にハチの面倒見が良かったと言われています。

上野博士はそれまで、4匹の秋田犬を飼いましたが、いずれも短命で皆、1歳か2歳で死んでしまったこともあってか、書生の才助さんに、日中不在であった自分に代わり、犬たちの観察、世話の様子を記した“犬日記”を提出させ、変わったことがあると補足の説明を聞いたと言います。

先生の書生、教え子たちは、ハチを呼び捨てにすることをはばかり、「ハチ公」と呼んでいたそうです。

上京してきた頃、環境の変化のせいか、体の弱かったハチも、半年が過ぎたあたりから健康を取り戻し、「ジョン」と「エス」2匹の犬と共に、玄関先や門の前で、主人・上野博士を必ず見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもありました。

もっぱら送り迎えするのは、博士の勤務先だった東京帝国大学農学部。
距離にして約1.3キロ、徒歩で20分弱の場所にあった目黒区駒場の大学の校門まで、毎朝いっしょに歩き、別れ際には、博士のポケットからビスケットをもらい、頭を撫でてあげると犬たちは家に帰り、そして、夕方になると、また3匹は駒場の大学校門まで行き、上野博士を待っていました。
3匹は、博士を見つけると嬉しくて飛びついて、博士はスーツを汚されても気にする事なく、犬たちを撫でていたそうです。
そんな幸せな生活も、わずか一年半で終わりを迎えます。

当時、上野博士とハチ、ジョン、エスが歩いたと思われる「東大駒場校門」までの道。

「Interest」in bloom-その2-

大正14年(1925年)5月21日、この日、先生を送ったのはハチだけでした。
夕方、いつものように3匹は、校門で博士を待ちますが、いつまでたっても、博士は現れませんでした。
その日、教授会を終えた博士は、同僚の吉川教授の部屋に入り、一言二言話を交わし、椅子に腰掛けたと思うと、そのまま倒れ帰らぬ人となりました。
まるでスイッチを切って電灯が切れたようにあっけなかったそうです。


ハチと上野博士との別れ

家の中がバタバタする中、ハチは博士のにおいを求めて遺留品の置いてある物置へ入り、そのまま3日間、何も食べませんでした。
亡くなって4日目の25日、通夜がしめやかに行われましたが、死の意味のわからないハチは、ジョンとエスと共に博士を渋谷駅に迎えに行きました。

それまで渋谷駅へは、週、数回の西ヶ原農事試験場に出向く時や、農商務省に出かける時、そして長期の出張で利用していたことから、なかなか帰って来ない博士は、出張していると思っていたようです。

博士が亡くなった後、入籍していなかった八重未亡人に法的な保障は一切ありませんでした。
渋谷の居宅を追われた八重未亡人とハチですが、ハチは親戚の家を転々とします。
ハチはジョンとともに日本橋伝馬町の呉服屋の家へあずけられました。
しかし、人懐っこい性格から店に客が来ると、すぐ飛びついてしまうため商売にならず、そのため浅草にあった別の親戚宅へと移されました。

不憫に思った上野博士の教え子たちが、世田谷の弦巻に住処を用意。
こうして、八重未亡人とハチは弦巻に移り住みますが、ハチは毎朝出掛けて行き、夕方になると帰ってきます。
八重未亡人は駒場の大学に行っているのだと、せつなく思っていましたが、ある日、ハチを渋谷駅で見かけたと知人に告げられます。

弦巻から渋谷までは5キロ強。
かわいそうに思った八重未亡人は、以前、上野家に出入りしていた植木職人、小林菊三郎にハチを預けます。
菊三郎の家は代々木富ヶ谷にあり、渋谷駅までは1.5キロほど。
男4人・女4人の自分の子供たちが一銭のコロッケを食べていても、ハチには十銭の牛肉を与え、亡き上野先生の形見だからと言って大切に育てました。
ハチは、菊三郎とともに渋谷の街、道玄坂を歩いたり、子供達と銭湯に行き銭湯の前で待ち、子供を背に乗せて帰ることもあったそうです。

ハチは、渋谷駅に通い、食事のために小林宅に戻っては、また渋谷駅に向かうということを繰り返していました。
ハチが渋谷駅に向かう際には、大通りではなく、細い旧道を好んだようで、途中の旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたといいます。

ハチは毎日渋谷駅に来ていたため、ハーネスをつけられているにもかかわらず、野犬と間違われて、通行人や商売人、駅員からしばしば虐待を受けたり、子供にいたずらされたりしていました。
また、優しくておとなしかったハチは、何度も野犬捕獲人に捕まっており、交番で毎日ハチを見ていた警官に助けられて、その度に命拾いをしたそうです。

この頃、渋谷駅に通うハチのことを知った日本犬保存会初代会長・斎藤 弘吉(さいとう ひろきち)が、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、1932年(昭和7年)ハチの事を新聞に寄稿しました。これは『東京朝日新聞』に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打ちました。
また、翌1933年(昭和8年)にも新聞で報道され、さらに広く知られるようになり、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれ、たちまち全国区の人気者になりました。

ハチの銅像を作ろうという機運が一気に高まり、募金運動が開始され、全国から手紙とお金が送られてきますが、ハチ公人気にあやかろうとする便乗商売や詐欺が出始め、それを防ぐためにハチの生前、昭和9年4月21日に銅像は完成しました。

忠犬ハチ公像はできた当初から人気スポットとなり、現在と同様、渋谷駅定番の待ち合わせ場所となりました。
この頃、ハチはもう11歳、人間でいうと70過ぎ。
日に日に体は衰え、菊三郎の家から渋谷駅へゆくのもおぼつかなくなります。
ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようにもなりました。
通行人がハチを優しく撫でていく光景は、すっかり渋谷駅の日常風景となりました。

「Interest」in bloom-その3-

銅像のできた翌年昭和10年(1935年)3月7日、ハチは駅長室、他の職員の部屋を訪れ、駅前の馴染みのお店を数件廻り、あいさつをして、姿を消しました。


ハチ最後の姿

明くる8日、ハチは渋谷川に架かる稲荷橋で発見されます。
ハチは誰にも看取られることなく亡くなり、上野博士の眠る青山墓地の方角を向いていたと云います。

葬儀は青山墓地の上野博士の墓の横にある愛犬の祠で行われました。
全国から送られてきた花輪25基、生花(せいか)200束、手紙弔電180通、清酒樽1本。
日本中が悲しみに沈みますが、「あれだけ慕っていた主人のもとに行けて少しだけ安心しています」と八重未亡人は語っています。

ハチは上野博士と同じ青山霊園に葬られました。
八重未亡人は晩年、“自分が死んだらせめて博士の墓にある灯篭のもとに埋めて欲しい”と語っていましたが、事実婚で籍を入れていなかった八重未亡人の願いは叶いませんでした。

その後、八重未亡人の生前の想いを知った東大の塩沢教授が、どうにかして、かなえたいと八重未亡人の分骨を提案し、2016年5月に青山霊園への合祀が実現し、上野博士、八重未亡人、そしてハチがようやく一緒になることができました。

ハチと上野博士が毎朝通っていた、駒場の東京帝国大学農学部は、ハチの亡くなった昭和10年に赤門のある本郷キャンパスと言問通りを隔てた隣に移りました。
東京大学弥生キャンパスには、上野博士とハチが一対になった銅像があります。

大好きな博士に飛びつき、じゃれて尾をふる、人間と犬の本来のあるべき愛情を表現しようと造られたこの銅像は、大変に素晴らしいものです。
今日ご紹介したハチのお話を思い浮かべながら、ぜひこの銅像を見ていただきたいと思います。

参考資料

忠犬ハチ公
https://blooming-days.njs.xyz/oupe

東京大学でハチ公に再会!全米が涙した愛情物語のあるべき姿がここに
https://www.travel.co.jp/guide/article/10226/

意外と知らないハチ公の真実
http://www.j-pets.jp/summit20180316/0316_05.pdf

忠犬ハチ公のお話
https://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/index.html

【忠犬ハチ公秘話】待っていたのは駒場⁈像は二代目⁈
https://sakamichi.tokyo/?p=11733

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。3/8分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

倉嶋桃子

見るラジオ

今回は、オランダ・アムステルダムの市街をお散歩しながらラジオ番組を聴く、そんな気分になれるような動画をつくってみました。

使用している動画は、「Walking in Amsterdam Walking tour 4k Netherlands 2019
Osmo Travel」の下記のものを使用させていただいています。

動画について

Walking in Amsterdam Walking tour 4k Netherlands 2019
Osmo Travel
https://www.youtube.com/watch?v=ez5ls0QbNSE

動画内で使用している楽曲は、次世代を担うミュージシャンたちのものです。気になる曲があったらリンク先サイトを覗いてみて下さい。

動画内音楽について

Is It Alright by Maya Isac
https://artlist.io/song/9344/is-it-alright

No Show Blues by Ben Bostick
https://artlist.io/song/10016/no-show-blues

8 Points Later by The Delegates
https://artlist.io/song/48965/8-points-later

Red Light Boogie by Rex Banner
https://artlist.io/song/52952/red-light-boogie

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