Blooming Days,February’15 |倉嶋桃子|85.4MHz FMひがしくるめ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,February’15

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みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

先日郡山コミュニティ放送ココラジの番組中に、田村市都路町のスイーツ店の人気プリンの紹介があり、そのプリンに使われている卵のお話がありました。
そこで使われている卵は、福島県で栽培されている「エゴマ」を餌に混ぜて食べている鶏が産んだものだとか。

このエゴマは、”食べると10年長生きできる”とか”瓶に保管しておくと10年もつ”といった謂れから「じゅうねん」とも呼ばれ、福島県のほかにも、日本の山間地域では伝統食の食材として食べられているものです。

エゴマは、紫蘇に似た葉で、そのまま食べるほかに、エゴマの種をゴマのようにすりつぶしてお料理に使ったり、種を絞って食用のエゴマ油にしたり、石鹸へ加工したり、飼料として使うこともあります。

ちなみに、福島県のブランド豚として、「エゴマ豚」がありますが、これはエゴマを飼料として食べさせた豚で、豚の脂肪には良質な油が含まれるそうです。

最近は、健康食品ブームで注目されているエゴマですが、戦前は自給自足を基本としてきた山間部の伝統食として食べられていました。
しかし、その後時代が進み、食生活の変化や農業の近代化、自給自足の生活の変化と同時にエゴマが作られなくなったようです。

一時は、消えかけたエゴマの食文化でしたが、1997年韓国の農村でエゴマが油として自給されていることを知った福島県田村市船引町在住の自然養鶏と有機農業を営んでいた村上周平さんは、かつての山間部の自給自足の生活を志し、エゴマで油の自給に取り組みはじめました。

まずは、エゴマの文献を集め、作り方を研究し、エゴマの在来種を探すところから始めます。この「種」に関しては、あぶくま高原地方の食文化として使われ続けてきたので、比較的簡単に手に入れることに成功。その後、エゴマ油に関する書籍を探しているうちにエゴマ油を研究している大学の教授に出会い、エゴマ油に含まれている「α(アルファ)リノレン酸」が現代病と言われる高血圧・心疾患・ガン・認知症などを防ぐ様々な効果があるものだということを知ることとなりました。

こうして体にいい成分があるということが分かった村上さんは、エゴマを健康食品として全国に広めようと1998年4月「日本エゴマ会」を設立。
全国各地へ栽培の働きかけをするのと同時に、地元田村市への普及にも力を入れ、いまでは国内有数のエゴマの生産地になったということです。

今後は、上質なエゴマの収穫方法、保管・選別方法のさらなる効率化、エゴマの食材の加工の研究などの課題だとか。

以前、地元では、食材として見かけたり、加工品としてお饅頭やお餅、お味噌、和え物で食べていたものでしたが、地元を離れると見かける機会はほとんどありませんでした。ですが、最近では、各地域の一般的なスーパーでも見かけるようになり、エゴマがようやく広まってきているんだと実感しています。
このような広がりは、とても嬉しいことなので、一過性の健康食品ブームで終わることなく、ぜひ食べたり、使ったりしてみて欲しいなぁと思います。

参考資料

福島県田村市におけるエゴマの再発見と普及
http://www.tokusanshubyo.or.jp/jouhoushi05/j05-18.pdf

伝統食材じゅうねん
https://blooming-days.njs.xyz/y7pa

エゴマ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%9E

それでは、本日の放送内容です。

「Food」in bloom~その1~

今から159年前の今日、2月15日は、大野佐吉が、現在の台東区浅草橋で「鮒佐(ふなさ)」を創業した日。
それまで、塩で作っていた佃煮を、醤油で煮る現在の形に創り上げたとされています。
お酒のおつまみやお弁当、おにぎりの具など、ご飯のお供として活躍する佃煮。
今日の「Food」 in bloomでは、「知らなくても困らないけど知っているとちょっと楽しい佃煮」についてお送りいたします。


佃煮とは

佃煮とは、醤油と砂糖で甘辛く煮付けた日本の食べ物。
とりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを煮染めたものをこう呼んでいます。

佃煮の歴史

佃煮は、江戸時代に江戸の佃島の漁師が、海が荒れ、魚の獲れない時にと保存の利くように工夫して小魚を煮込み、非常用備蓄食にしておいたものを、現在の東京都中央区、佃島にある、住吉神社を訪れる参拝客に振舞ったのが始まりで、江戸の回船問屋の主人の供で訪れた、賢い奉公人が、これを佃煮の名称で売り出したのが始まりと言われています。
しかし、歴史を紐解くと、佃煮の原型は大阪にあったとみられ、その由来は織田信長が明智光秀によって討たれた「本能寺の変」が始まりと言われています。

時は、1582年6月4日、その2日前の6月2日に、明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れ、わずかな手勢とともに、堺にいた信長の盟友である家康が、次は己が命を狙われる番、と身の危険を感じ、岡崎城へ戻ろうとしますが、既に光秀により退路が断たれている事を知った一行、異変に気づかぬふりをして住吉神社参拝というふれこみで、逆の方向へ迂回しての脱出奇策をとりました。

しかし、今の大阪市住吉区の神崎川にさしかかった際、渡る舟がなく困っていた一行に、近くにあった佃村の庄屋・森孫右衛門が、手持ちの漁船と不漁の時にと、かねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中、食・兵糧として用意しました。

気候の悪い時期に人里離れた海路や山道を通って必死に脱出しなければならない一行にとって、佃村の人達から受けた小魚煮は、日持ちも良く、体力維持にも素晴らしい効果を発揮しました。服部半蔵を頭とする伊賀の忍者部隊に助けられながら山越えし、一行はやっとのことで岡崎城ヘたどりつく事ができました。
以来、家康の佃村の人達への信任は、特別 強いものになり、徳川幕府を開き、天下人になると、助けてもらった佃村の森孫右衛門と漁師たちを江戸に呼び寄せて、漁業に便利な隅田川河口・石川島南側の干潟を埋め立てて住まわせ、大名屋敷の台所へ出入りのできる特権を与えた、と伝えられており、この経緯から江戸での佃煮の歴史が始まったと言われています。

この干拓地は、郷里の佃村にちなんで「佃島」と名づけられ、安政五年(1858年)に棒手振り(ぼてふり)の青柳才助(あおやぎ さいすけ)が日本橋呉服町稲荷新道(いなりじんみち)において佃島漁民の雑魚の塩煮を『佃煮』と称して販売したのが佃煮の始まりといわれています。

その4年後、文久2年(1862年)になると、下総國出身の大野佐吉(おおの さきち)が、醤油を使用した現在の佃煮の原型を作り出しました。佐吉と佃島の塩煮との出会いは、隅田川河口に釣りに出た折に、暴風雨に遭い、佃島に避難した事によります。
避難した際に、現地漁師に振るまわれた『雑魚の塩煮』に感銘を受け、佐吉は佃煮作りを始めました。
それまでの佃煮は漁師の保存食であった魚介類をまとめて塩で煮るというものでしたが、佐吉は独自の改良のもと、魚は魚、貝は貝というように素材を種類ごとに分け、当時まだ高級であった醤油を使用して、現在の佃煮の原型を創り出しました。

その後、次第に江戸で人気を集め、さらに、参勤交代によって、武士たちが江戸のおみやげとして持ち帰ることで、どんどん全国に広がっていきました。

「Food」in bloom~その2~

すっかり江戸の人気ものになった佃煮ですが、明治に入る前まではまだ高級な食べ物で、一般庶民の食卓に上がることはありませんでした。
明治に入って日清、日露の戦争後には、原料が豊富にとれる佃煮は、量産が可能となり、手頃な食品として食べることができるようになりました。
食べ物を保存する方法が乏しい時代には、日持ちのする佃煮は、大変重宝する食べ物でした。


近年の佃煮

保存が出来、栄養があり、簡単にいつでも食べられる佃煮は、非常食として明治政府からも注目され、日清戦争、日露戦争では軍用食として大量に生産されました。
戦争が終り、故郷に戻った兵士達によって、戦場ですっかり舌に馴染んだ江戸前佃煮の味は、さらに全国に広まって一般家庭の副食となり日常食となっていきました。

佃煮の種類

佃煮は、主なものだけでも100種類以上あるといわれています。
地方ならではの食材を使ったご当地佃煮なども入れると、佃煮の種類は相当な数になります。

たくさんの種類のある佃煮ですが、昆布やいわし、あさり、海苔、海老などの水産物を用いた水産佃煮、ふきや葉唐辛子、しそ、ごぼう、豆などの農産物を用いた農産佃煮、昆布とふき、いわしとしそなど複数の食材を用いて作られる混合佃煮、そして、くるみやいなご、蜂の子などその他の佃煮、と使用する原材料によって大きく4つに分けられます。

佃煮としぐれ煮の違い

醤油,砂糖,塩,水あめなどで濃く煮つめた佃煮と似たようなものに、しぐれ煮、大和煮、そして田麩(でんぶ)そして、甘露煮があります。
しぐれ煮は、ハマグリなどのむき身に、生姜を加えて佃煮風に煮上げたもの、大和煮は、牛肉や馬肉、鯨肉を醤油・砂糖・生姜で煮たものを言います。
佃煮に生姜を加えたものを大和煮、しぐれ煮と呼ぶようですが、同じ調味料、同じ製法で作られていても、大和煮はお肉、ハマグリをしぐれ煮とその材料によって呼び方が違います。
これは、獣肉(じゅうにく)で作ったしぐれ煮が、戦時中、「大和」と言う字が当てられ軍隊の食料とされた事が所以と言われていますが、現在では、牛肉の佃煮や牛肉のしぐれ煮も出回っているようですので、明確な線引きはなくなっているのかもしれません。

田麩とは

そのほか、巻き寿司やちらし寿司の具材に使われている田麩。
昭和の子どもにとって「でんぶ」は、ピンク色をした甘い味のする不思議なふりかけという位置付けでした。
色合いとその甘さから嫌う子もいましたが、これが魚から作られている佃煮の一種だと知ったのは、小学校の調理実習で鯛の田麩を作った時で、茹でた魚肉をほぐして作られる佃煮だったとは思っていませんでした。

漢字では「田のお麩」と書きますが、由来は「田夫」と呼ばれる江戸時代の料理から、現在のでんぶへ変化したようです。
田夫とは、農夫のこと。田舎者の意味でも使われていたようです。
農民が鯛の骨についた身をこそげおとして、ご飯のおかずにしていたことから、その食品を「でんぶ」と呼ぶようになったと言われています。

日本では魚肉を使うことが多く、江戸前寿司の店では、おぼろと称するほか、一部では力煮(ちからに)ともいい、北海道の一部の地域などでは、単にそぼろと呼ぶ場合もあるようです。
中国や台湾では、魚肉ではなく、主に豚肉を使うことが多く、鶏肉、牛肉を使うものもあります。

日本では、食紅で色をつけた桜でんぶがよく知られ、ご飯に振りかけるほか、ちらし寿司や巻き寿司の具としても使われます。
ほかにもいろんな種類があり、鰹節が使われていることも多く、平目、鰈、海老などの魚介類を用いた贅沢な品もあります。

江戸期寛文・延宝年間、1670年~1674年ごろにまとめられた『古今料理集』には、「田夫は 色々をなべに入て、酒をひたひたにさして、あまみの付程にとっくと煮て、其汁をよくしため〈略〉汁のなきやうに煎付て用る事也」とあり、さらに遡ると、中世の京都に、干し魚を炙ってほぐし、調理された「ふくめ」という献立があり、これが田麩の原型ではないかといわれています。

最近の子は、田麩を食べているのでしょうか。
うちの子たちは、大きくなった今でも苦手なようです。
どうやら「甘いのがご飯に合わない」ことが理由のようです。

「Food」in bloom~その3~

さて、佃煮とよく似た製法、味付けのものを一通りご紹介しましたが、佃煮に最も近くて違いのわからないのが甘露煮です。

お正月のおせち料理に欠かせない田作り。
ごまめとも呼ばれていますが、カタクチイワシの稚魚を空煎りして冷まし、醤油やみりん、砂糖を煮詰めたものにからめた甘露煮です。


佃煮と甘露煮の違い

佃煮と甘露煮、その違いについてご存知ない方も多いのではないでしょうか? 
そもそも甘露とは、神々が飲む、不老不死が得られるという甘い飲み物のこと。

中国の伝説で、国を治める君主が民を思う良い政治を行うと、天がそれを褒めて降らせるという甘い霧の事を指していましたが、その後、インドから仏教が伝来した際に、この甘露とインド神話に登場する不死の霊薬アムリタが同一視され、そのまま甘露と呼ばれるようになったと言われています。
アムリタとはサンスクリット語で「死なない」ことを意味する言葉。
生き餌になるはずのまさひろ君は一時的に難を逃れました。
蜜のように甘く美味で、苦悩を取り除き、寿命を延ばし、死者を復活させるともいわれています。

日本でも“甘露”という言葉が、生命力を与え、寿命が延びるような美味しい食べ物を意味するようになり、水飴などでつややかに煮上がった見た目が、美味しそうに見えることから「甘露で煮たような物」として「甘露煮」と呼ばれるようになりました。

現在の佃煮もお醤油や砂糖、水飴などで炊き込んだものをさしますが、大きく違う点は、甘露煮は一度原材料を素焼きにしてから炊き込んだ物だということ。
また、材料を途中で取り出す佃煮と違い、甘露煮は、煮汁がほとんど残らぬくらいに煮詰めます。

佃煮と同じような作り方ではありますが、江戸の佃島に移り住んだ漁師の塩煮から派生したものではなく、利根川や渡良瀬川がある現在の古河市あたりが発祥と言われています。
古河藩主 土井 利里(どい としさと)公の時代の文献には、「宝暦12年(1762年)古河の水利の恵みを受け、そこでとれる鮒を「フナの煮つけ」として旅人などにもてなした」との記述が残っています。

当時、古河は、奥州街道の要衝の宿場でにぎわい、今でもその形をとどめる船渡河岸(ふなとかし)から江戸へ唯一の交通機関の定期船が運行しており、古河宿の街道筋には、鮒の煮付けを出す一膳飯屋があり、これが鮒の甘露煮の始めと言い伝えられています。
しかし、この頃、まだ醤油や砂糖は大阪からの下りもので大変に貴重だった為、庶民が口にできるようなものではなく、佃煮同様、鮒を塩で煮た塩煮だったと思われます。
明治に入り、煮付け味付けの改良が加えられ、現在のような醤油や砂糖で味をつけ炊き込んだものが出来上がりました。

佃煮とほぼ同じような製法、味付けの甘露煮ですが、現在では、10cm未満の小さい魚を佃煮、それ以上の大きい魚を甘露煮と呼び分けているようです。

さて、今日は、「知らなくても困らないけど知っているとちょっと楽しい佃煮」についてのお話をいたしました。

コンビニエンスストアやスーパーなどで人気のオニギリの具ランキングでは、必ずと言っていいほど上位に入っている昆布の佃煮。
和食の小鉢やお弁当に入っていることも多く、普段何気なく食べているものにも、意外と多く佃煮は使われています。
最近よく目にするようになったしっとり系のソフトふりかけも佃煮の一種です。

今から159年前に創業した台東区浅草橋の鮒佐さんの佃煮は、今でも創業当時の味を守っているため、初めてのお客様からは「辛すぎる」とお叱りを受けることもあるそうです。
159年前の味を確かめに、早速お店に行ってこようと思います。

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。2/15分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

倉嶋桃子の写真-20210215

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