Blooming Days,January’25|倉嶋桃子|85.4MHz FMひがしくるめ

Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days,January’25

  • PODCAST

    ※アプリをインストールしてお聞きください。Spotify Freeはずっと無料のプランです。 期間限定でもなければ、登録にクレジットカードも必要ありません。 放送後記
  • facebook

  • Twitter

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

1/25日は「日本最低気温の日」。これは明治35年(1902年)1月25日、北海道の上川測候所(現在の旭川地方気象台)で氷点下41.0度の日本最低気温が記録された日という事で制定されました。
暦では大寒も終わり、少しずつ気温も上がる時期かとは思いますが、この時期に、最低気温が更新されたことを考えると、まだまだ油断はできないようです。

日ごとの寒暖の差については、体調管理を考える上でもとても大事なことです。衣類で調整することはもちろんですが、建物内、住宅内での気温差にも十分に気をつける必要があります。
というのも、暖かい場所から寒い場所への移動など、温度の急な変化が体に与える影響を「ヒートショック」現象と言いますが、その急激な温度変化により、血圧が大きく変動することで、心臓に負担がかかり、思わぬ病気を誘発してしまう原因にもなりかねないからです。
また、低い室温に長時間いることで、血の巡りが悪くなり、健康被害につながることにもなります。

今年の冬は、寒波の影響もあってか電力不足というニュースも流れてきてはおりますが、断熱シートをつかったり、床に保温性のあるマットを敷いたり、窓に断熱シートを貼ったり節電の工夫をしながらも、しっかりと室内を暖めることが必要です。

また、寒い時期の体調管理の仕方には、具材が色々入った鍋や汁物、発酵食品でもある酒粕をつかった汁物やなかなか冷めないあんかけタイプのメニューなど、体の冷えに効果があるような食べ物を食べるのもおススメです。
体を冷やさないようにすることは、基本的な風邪の予防にもなるので、意識して食べるといいでしょう。

とくに、これからの季節の変わり目におススメしたい食材は、「小豆」です。

お正月の時期にすでに食べたという方、鏡開きをしてお汁粉やぜんざいで食べたり、小正月のメニューとして小豆粥を食べるという方もいたかもしれません。

なんとなく不調を感じていたり、疲労感がなかなか抜けないような方には、肝臓を休ませてあげたり、肝臓が元気になるような食べ物が有効と言われています。この弱った肝臓が元気になる栄養を持っているのが「小豆」。
小豆の赤い色に含まれているアントシアニンやポリフェノールの効果は、目にいいことや抗酸化作用があることなどはよく知られていますが、他にも注目の成分があります。

それが、ビタミン群。
ビタミンB1、B2、B6をはじめ、量は少ないものの、ビタミンE、ナイアシン、葉酸も含まれています。
これらのビタミン群は、1つ1つの成分が体にいいのはもちろんですが、肝臓の働きを活発にしてくれる成分でもあります。
また、小豆の煮汁の中には、ポリフェノールの仲間の「サポニン」という成分が含まれており、肝機能の改善やむくみの解消、解毒作用や免疫力アップなど効果があります。

小豆をつかった料理は、レシピサイトにも簡単なものがたくさんありますので、気になる方は探してみてくださいね。

参考資料

未然に防ぐ。ヒートショックのしくみと予防法まとめ
https://blooming-days.njs.xyz/7ril

1月25日は何の日?
https://tinyurl.com/yxghwxw3

健康づくり支援室だより
https://blooming-days.njs.xyz/i02j

橋本食糧工業株式会社 原料「小豆」
https://www.hashimoto-foods.co.jp/azuki/

それでは、本日の放送内容です。

「Interest」in bloom~前半~

早いもので1月ももう後半。
来週は2月に入り、寒さも本番となります。
2月を如月「きさらぎ」と言いますが、漢字で書くと「着更着」と書き、寒さのために衣を更に着重ねるという意味のようです。

日本の伝統行事としてお馴染みの節分ですが、今年は例年よりも1日早い2月2日。
節分が2月2日となるのは、1897年以来、124年ぶりです。

そもそも節分とは、雑節の一つで、立春・立夏・立秋・立冬など各季節の始まりの日の前日のことを指していましたが、立春が一年のはじまりとして人々に尊ばれたために、江戸時代以降は、節分といえば立春の前日を指すようになりました。

立春とは、1年間を太陽の動きに合わせて24等分した「二十四節気(にじゅうしせっき)」のうちの一つで、毎年の二十四節気は、国立天文台が天文観測(てんもんかんそく)に基づいて定めています。

日付の変動は、地球の公転周期が約365.2422日と、1年間の365日から微妙にズレているため生じます。

節分が2月3日でなくなるのは、1984年2月4日以来、37年ぶり、2月2日になるのは、1897年以来124年ぶりだといいます。

一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら大豆を炒った福豆を撒いて、年齢の数、地域によっては1つ多く豆を食べる厄除けを行います。
この厄除け、時期は、地域によって異なるものの、「年(とし)の節目である新年正月元旦に行う」ケース、「年の節目を旧正月と考え、厄年の区切りも旧正月からとし、節分にあわせて行う」ケース、「年始から節分までに行う」ケースが多く見られます。

今日の「Interest」 in bloomでは、「厄除け、厄祓い。厄を祓う本当の理由」をテーマに厄について考えてみたいと思います。


「厄」とは

「厄」とは、人間の生命や生活の健全と安定をそこなう要因になると考えられている災難のこと。
古く人間に災厄、特に疫病をもたらすのは神のなせる業であると信じられ、その神を厄病神、疫病神、厄神(やくじん)、行疫神(ぎょうえきじん)などと呼び、このような神が来るのを防ぐために,あらかじめ路上でもてなすという道饗祭 (みちあえのまつり) や、村境の路上に注連縄 (しめなわ)を張るなどの行事が行われていました。
花が散るとともに疫病神が分散するという信仰から,花を散らせないようにする行事もあったそうです。

現在では、災難が多く降りかかる年を「厄年」と呼び、男性の場合、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳が本厄とされ、特に男性の42歳、女性の33歳は、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要する大厄とされています。

しかし、この厄年、科学的な根拠は不確かで、陰陽道由来とされるものの出典は曖昧で正確な事はわかっていません。
中国から伝来して、公家や武家の社会で行われていた信仰がいろいろな形を経て今日に至っていると考えられています。

もとは中国の陰陽五行説に基づく思想といわれていますが、日本では平安時代には既に厄祓いの考え方がありました。
平安時代の貴族たちは、12年ごとに巡ってくる自分の干支の年を厄年と考えていたようで、日本最古の長編物語「宇津保物語」や源氏物語にも干支の年を警戒する記述が出てきます。
そして、江戸時代に入り、暦の普及と共に、平安時代に公家で行われていた厄祓いの慣習が庶民に広がり、女性19歳と33歳、男性25歳と42歳という現代の厄年の考え方が出来上がったと言われています。

旧暦の場合は正月と立春がとても近く、正月のあとに節分を迎えることもありましたが、多くの年は立春のあとに正月を迎えていたため、節分で厄払いをして春を迎えて正月を祝う、それがひとつの流れになっていたようです。

江戸時代の厄といえば、もっぱら疫病のことで、徳川政権下の1603年から1868年までの265年間には、13回もの麻疹の大流行が起こり、1862年に記された記録では1年間での死者は24万人、大英博物館所蔵の医師ケンペルの資料によると1690年頃には、疱瘡・麻疹・疫痢・フィラリア症・天然痘など、1858年には、即死病として恐れられたコレラも日本に蔓延し、船頭は船を操りながら死に、雲助(くもすけ)や馬子(まご)は荷物を担ぎながら馬を引きながら道端に倒れたと言います。
街道の至るところに遺体が放置され、後は狸や狐の餌になるにしかなく、それゆえにコロリには、漢字で「狐狼狸」の文字が当られたと記録に残されています。

このような天然痘や麻疹、コレラなどの死病の蔓延は、人々の心に強い信仰心を育てる結果にもなり、厄除け、厄払いが江戸の庶民に広がった一因だったと言われています。
犬張り子や赤べこ、さるぼぼなど厄払いの郷土玩具は、感染症被害の多かった地方には、必ずと言っていいほどこのような疫病除けの呪いが残されています。

有力社寺ではこのころから厄除け祈願が行われていたようですが、一般庶民は、厄年の者が節分の夜に神社へ厄落としに参拝するというのが一般的だったようです。
これは、平安時代の宮中行事として執り行っていた、大晦日の夜に旧年の病厄を祓った追儺(ついな)の儀式と、室町時代の節分の日に行っていた災害除けや長寿のための読経や豆まきが結びついたもので、「鬼は外、福はうち」の掛け声を当時から唱えていたことなどが、京都相国寺の僧侶・瑞渓 周鳳(ずいけい しゅうほう)の日記『臥雲日件録(うがんにっけんろく)』にも綴られています。

また、江戸庶民の間では、節分の夜、誰にも知られぬように四辻に褌(ふんどし)を落とすと厄災からまぬがれるという風習があり、俳人・正岡子規は著書『墨汁一滴』にて、生まれ育った愛媛の節分をこんな風に書き残しています。
「節分の夜は、四辻に汚い褌、焙烙、火吹き竹など捨てるものがいる。褌を捨てるのは、厄年の男女で厄を落とす意味があるとか」。

このような、節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包んだものや、餅、お金、火吹竹、炮烙、履物など人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて、振り返らずに家まで戻り、厄を落とすという風習は、現在も各地に残っています。

また、喜田川守貞(きたがわ もりさだ)の『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によると、文化元年以来、大晦日、節分、正月六日、十四日になると「御厄払いましょ、厄落とし、御厄 払いましょ、厄落とし」の呼び声とともに市中を回り、金品を貰って芸を行い、厄を背負っていく門付芸人(かどづけげいにん)が江戸、大阪に現れるようになったと書かれています。
これは、文化元年の大地震や、文化3年に1200人以上の死者を出した大火事、1400人以上の死傷者、行方不明者を出した文化4年の永代橋崩落事故など、災難が続いたことも要因だったのかもしれません。

明治、大正、昭和、平成と時代を下り令和になった現在、近隣の氏神・神社仏閣などに厄払いに行くのが一般的になっています。
厄年の人に厄除けとなるものを贈るという近年の流行があるようですが、これには、伝統・宗教的裏付けはなく、あくまで商業上の理由による販売促進策だそうです。
もしかしたら将来、これが厄除けの風習となる日がくるのかもしれません。

「Interest」in bloom~後半~

前半では、厄祓いと節分の関係、謂れ、江戸時代の風習などについてお話いたしました。
科学的な根拠は不確かで、陰陽道由来とされるものの出典は曖昧で正確な事はわかっていないという厄年ですが、その起源は、天文、歴数、ト筮(ぼくぜい)などの知識を用いて吉凶や禍福を占う「陰陽道」にあり、これに基づき日時や方位の吉凶が定められたのと同時に、災いを招きやすい年である厄年もできたと言われています。


「陰陽道」とは

この陰陽道とは、陰陽寮(おんようりょう)で教えられていた天文道、暦道といったものの一つで、古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系のことです。

中国の春秋戦国時代ごろに発生した、陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想を「陰陽五行思想」といい、この陰陽五行思想にさまざまな学問、宗教、呪術を取り入れ、独自に発展したものが陰陽道と言われています。

当時はまだ、「怨霊」「悪霊」といった存在が当然のように信じられていたので、朝廷を中心に怨霊を鎮める御霊信仰(ごりょうしんこう)が広まり、それが陰陽寮と呼ばれる朝廷の役所の職務に含まれるようになりました。
大抵は大掛かりな儀式など行う事はなく、式盤(ちょくばん) と呼ばれる、十干(じっかん)、十二支、といった占うために必要な文字や記号が記入されていた道具を使い、「いつ、どの方角に向かうと凶となるのか」を予知して、それを回避させていたそうです。

厄年と言うと一般的にはよくないことが起こりやすい年と考えられがちですが、元来は違う意味を持っていました。

かつて、日本全国の村々には必ず氏神様を祀る鎮守の杜があり、村人が協力してお祭りを行っていましたが、一定の年齢に達した人はその経験を認められ、お祭りの神事に奉仕する役目を担う重要な「神役(しんやく)」を任されるのが慣わしでした。
この「神様にお仕えする大事な役目を任される年」がもともとの「役年」でしたが、無事にお役目を果たすためには、普段にも増して病気や怪我、そのほか家庭的・社会的なトラブルを避けなければなりません。
そのため、その役を行なうにあたって神様に失礼のないように、言動や行為を慎み、心身を清浄にするためにご祈祷を受けたのがはじまりであると考えられています。

今でも地域によっては、初宮詣、七五三、十三参り、身祝(男性15歳の元服祝・女性13歳の髪上祝)、年男年女、還暦以降の賀寿(がじゅ)の年齢も厄年とするところがあります。

ところで、厄年の概念は日本国内だけではなく、ハワイに移り住んだ日系人社会にも受け継がれていますが、その捉え方には差があります。

主に男性の満41歳の誕生日に行われる厄年パーティーでは、主役は赤い服に赤いレイを身につけ、料理にも赤飯や鯛など赤い色の食べ物を並べるのが慣わしで、友人や親戚を集めて盛大なパーティーを開く人も多く、「ハッピー・ヤクドシ」と迎えられ、最後は万歳三唱で締めくくられるそうです。
ハワイでの「YAKUDOSHI」はおめでたい行事として受け止められており、日本のネガティブな面が強調される「厄年」とは正反対のようです。
海を越えたハワイに伝わるYAKUDOSHIは、本来の「晴れの日」としての面影を残したものと言えるのかもしれません。海を越えたハワイに伝わるYAKUDOSHIは、本来の「晴れの日」としての面影を残したものと言えるのかもしれません。

大阪八尾市(やおし)の許麻(こま)神社のホームページには「厄年の意義」というページがあり、そこには、厄年の現代的な意義が書かれています。

戦後急速に都市化が進んだ日本では、かつて村ごとに当たり前に行われていた、宮座(みやざ)を組んでお祭りに奉仕する神役としての「役年」の風習が薄れてしまい、災難を恐れる面ばかりが注目されるようになってしまいました。それでもなお、現代の厄年には人生の節目として、年齢と共に変化する自分の役割を再確認する年、いままでは”たまたま”トラブルにならずに済んできた何気ない習慣を見直す年、その年まで生きてこられた事に感謝する年という意義を見いだすことができます。
車で接触事故を起こしたら、親に「厄年だからお祓いに行けば?」と言われたとか、仕事でトラブルが続いています。調べたら厄年だったのでお祓いしてください。といった御祈祷の依頼を受けますが、中には「悪いのは厄年のせいだからお祓いすれば大丈夫。自分に非はない」と言わんばかりの人もいます。何事にも原因はあるものです。
「何気なく繰り返してきた自分の日々の行いを、一度立ち止まって点検してみる。改めるべき点に気づけたなら、それを改める努力をする。そのうえでもし、人の力では免れ得ぬ災難があるならば、神仏のご加護によって大難を小難に、小難を無難に転じていただく。そんな心構えが大事だと思います」と書かれていました。

厄という漢字の原義は木のふしであり、これは製材や工作するのに不便なことから転じて災厄・苦難の意味に用いられるようになりました。
しかし竹など長くて強くなるには節があってこそです。

今後の人生をよりよくするためにも節目となる厄年をうまく過ごして迷信などには惑わされないようにしたいものです。

参考資料

厄年 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%84%E5%B9%B4

厄払いの側面から陰陽師を調べてみた【護符も自分で書ける】 – 草の実堂
https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/21878/

厄祓いについて | 神社本庁
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/gyouji/yakubarai

江戸時代の「厄払い」のこと、など。 : 噺の話
https://kogotokoub.exblog.jp/24108898/

江戸時代の節分がユニークで面白い!庶民や江戸城の風習・歴史を詳しく紹介 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン
https://intojapanwaraku.com/culture/70794/

厄年の意義 – 許麻神社
http://komajinjya.com/archives/714

メッセージをお寄せいただいた皆さん、ラジオをお聴き頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。1/25分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

なお、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。

Super Music Wide