Blooming Days - 日々是好日 -

Blooming Days, November’09

  • PODCAST

    ※アプリをインストールしてお聞きください。Spotify Freeはずっと無料のプランです。 期間限定でもなければ、登録にクレジットカードも必要ありません。 放送後記
  • facebook

  • Twitter

2020年11月9日(月)

みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。

11月に入り、気温が下がると同時に、自分の肌感覚で感じるほど空気も乾燥しているようです。水仕事をするたびに手がカサカサに乾燥してしまうので、ハンドクリームが欠かせない今日この頃です。

ハンドクリームといえば、11月10日は「いい手の日、ハンドクリームの日」として記念日協会に登録し、制定されています。 語呂合わせで、11(いい)10(てん)(手)の日ということもあるようですが、過去30年間の気象庁のデータから、都心の最低気温が10度を割る境目の日が11月10日であることが分かり、ちょうどその頃からハンドクリームが売れ始めるということで、制定したそうです。

試しに今年の11月10日あたりの天気予報を見てみると、確かにその頃辺りから最低気温が10度を下回る予報が出てきており、「まんざら嘘ではないんだなぁ」と納得してしまいました。

今年は、特に手を洗ったり消毒をしたり、いつも以上に手が乾燥する機会もあるので、小まめにハンドクリームで保湿しながら乾燥の時期を乗り切りたいと思います。

それでは、本日の放送内容です。

「Food」in bloom

香ばしい香りとホクホクとした食感、ねっとりとした蜜の甘さがたまらない、冬の風物詩「焼き芋」。

リヤカーや軽トラに、引き売り屋台を乗せて移動販売する昔ながらの焼き芋屋さんは、最近あまり見なくはなりましたが、販売方法、製法、品種を代え、今でも焼き芋は、ブームとなっています。

今日の「Food」in bloomでは、「しっとり派?ホクホク派?焼き芋の美味しいお話」と題して、焼き芋について調べてみました。


焼き芋とは

焼き芋とは、文字通り、焼いたサツマイモのこと。

東アジア特有の食文化とされ、石焼き芋や壺焼き、かまど焼きなどがあります。

生のサツマイモは硬くて甘味がなく、消化もしにくい食べ物ですが、焼くことによって、適度な軟らかさと良好な食感、甘味、香りなどが得られ、美味しく食べることができます。

サツマイモの栽培は、琉球、薩摩国(さつまのくに)を経て、本州に広まり、1735年(亨保20年)の小石川植物園での種芋栽培の成功をきっかけに、関東地方でも大々的に栽培されるようになりました。

寛政5年(1793年)に本郷四丁目の木戸番(きどばん)が、初の焼き芋を木戸番屋で売り出すと、冬のおやつとして急速に人気を集め、それまでの蒸し芋に取って代わるようになりました。

特に各町の木戸横に設けた木戸番屋などで、かまどの上に載せた焙烙(ほうろく)に並べて焼いた焼き芋が売られていました。

焼き芋は甘味や香りに加えて「10文も出せば、食べ盛りの書生でも朝食になる」と言われるほど安価なことが大きな魅力であり、低コストな舟運で輸送できる下総国(しもうさのくに)の馬加村(まくわりむら、現・幕張)および武蔵野台地の川越藩領が原料のサツマイモの2大供給地となり、江戸に運ばれる荷物の梱包材として使用された俵や縄が調理の燃料として利用されていました。

天保3年(1832年)の『江戸繁盛記』には「木戸番屋では早朝から深夜まで焼き芋が売られ、裕福な人も貧しい人も好んで食べるため、一冬で番屋一軒の売上は20~100両にも達する」と書かれているほど、大人気な食べ物でした。

明治に入ると米の価格変動が大きいこともあって、安定した低価格で供給される焼き芋は、下町の低所得層などにとって、冬季の主食にもなり、さらに需要が増しました。

これら専門店は、秋から春にかけて焼き芋を、夏季は明治に登場した製氷機を用いたかき氷などを販売し、1900年には東京府に1,406軒の焼き芋屋が存在したそうです。

大正に入ると、低価格の洋菓子が供給されるようになり、おやつとして焼き芋の地位が低くなる一方、中国東北部から上海を経由して関西地方に伝わった壺焼き芋、ならびに昭和初期に誕生した大学芋が急速に人気を得て、従来のかまどを用いた焼き芋に取って代わり、1930年代には東京府内の壺焼き屋が500軒以上に上った、といわれています。

しかし、太平洋戦争開始後の、1942年に、食糧管理法が制定されると、サツマイモは統制品となり、焼き芋屋のほとんどは休業、ないし廃業しました。

終戦後の1950年に、サツマイモが統制の対象外となると、伝統的なかまどや壺を使わず、リヤカーに鉄製の箱型釜(はこがたがま)と石を載せて移動販売する石焼き芋が向島(むこうじま)で登場します。

重量があるため、特注のリヤカーが使われ、1960年代半ばの最盛期には、東京都の販売員は、冬季の出稼ぎに来た人々を中心に、1,000人以上に達したと言われています。

その後、軽トラックに石焼き釜を載せる形式が主流になっていき、1970年の大阪万博を機に、ファストフードのチェーン店が増加した影響などを受け、石焼き芋屋は、減少していきます。

現在、スーパーなどで見かける焼き芋オーブンは、栃木県の株式会社群商(ぐんしょう)が開発したもの。

1998年から茨城県の行方(なめがた)農業改良普及センター、JAなめがたで試験を重ね、均一においしく焼く技術を確立、2003年にマックスバリュ東海が、静岡県内の店舗に導入したのを皮切りに、スーパーマーケットの店頭で焼き芋オーブンによる販売が広がっていきました。

焼き芋オーブンの普及により、店頭に並べられるサツマイモの種類にも変化が表れます。

焼きいも用のサツマイモの品種を、食感・肉質で分類すると、ほくほく系、しっとり系、ねっとり系の3種類。

2002年以前までは、「ベニアズマ」などのほくほく系が主流でしたが、2003年以降からは、しっとり・ねっとり系の安納いもにも注目が集まりました。

2007年にしっとり・ねっとり系の甘い「べにはるか」が育成され、2015年には、ついに人気品種のトップに躍り出ました。

まとめ

現在では、焼き芋専門店も続々登場しています。

「焼き芋クレープ」や「焼き芋どら焼き」など進化を遂げた見た目もカワイイ「焼き芋スイーツ」も登場し、焼き芋は、若い女性たちの間で、甘みはあるけど、ヘルシーで栄養価も高いダイエットフードとしても人気です。

軽めのごはんとやきいも1/3がほぼ同じカロリー。

やきいもの方が低エネルギーで腹持ちがいいので、少量でお腹いっぱいになります。

美味しいだけでなく、ビタミンや食物繊維が多く、添加物も無い素晴らしい食べ物、焼き芋。
さっそく買って食べてみてくださいね。

参考資料

焼き芋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E3%81%8D%E8%8A%8B

焼きいもブームの歴史とその背景
https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/1511/wadai.html

「Interest」in bloom

11月に入り、休日の神社周辺では、晴れ着に身を包み、千歳飴の長い袋を引きずるように持ちながら、お父さんやお母さんに手を引かれて歩いているお子さんをたくさん見かけるようになりました。

子どもたちが健やかに成長したことに感謝し、これからの健康と幸福を願ってお参りする「七五三詣り」。

七五三のお祝いは、一般的には11月15日とされていますが、最近では、混雑を避けるため、時期をずらして10月中旬から11月下旬ぐらいに参拝されるご家族も多くなりました。

お参りの時期は変わっても、「七五三詣り」は今でも行う大切な行事の一つです。

今日の「Interest」in bloomは、「子どもの成長の節目。日本の風習、七五三のお話」と題して、七五三詣りについて調べてみました。


七五三詣りとは

七五三とは、7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事で、神社などで「七五三詣で」を行い、ご報告、感謝、祈願をする奉告祭(ほうこくさい)のこと。

現在のような華やかな行事になったのは、江戸時代に徳川家光の子、徳松(後の綱吉)が病弱だったため、その健康を、11月15日の日に盛大に祈願したことから始まり、それが庶民の間にも広がったためといわれています。

もともとは関東圏で行われていたこの風習が、やがて、京都や大阪などでも行われるようになり、全国的な行事となっていきました。

七五三の起源について

七五三の由来は諸説ありますが、 平安時代に貴族の間で行われていた3つの儀式である、3歳「髪置き(かみおき)の儀」・5歳「袴着(はかまぎ)の儀」・7歳「帯解(おびとき)の儀」がもとになっていると言われており、それぞれの儀式は独立して行われていました。

まず、数え年3歳(満年齢2歳の年)の「髪置きの儀」。

武家では男女の子供がそれまで短く剃っていた髪を伸ばし始める3歳ごろに行われていた儀式のことをいいます。

身丈の3倍の布で身頃を作った三つ身の着物に、裄丈・身丈を短くする肩上げ・腰上げをして着せてあげ、その上に被布(ひふ)というベストのような上衣を羽織るのが正式な装いです。

次に、数え年5歳(満年齢4歳の年)の袴着の儀(はかまぎのぎ)。

これは、5〜7歳の男の子が初めて大人のように袴を着用する際に行われた儀式で、その後、江戸時代に入ると5歳の男の子のお祝いとして定着したと言われ、髪置きの儀と合わせ、これらの儀式が一番古い七五三の起源とされています。

黒羽二重に、背中・両袖・両胸に1つずつ紋のついた五つ紋の羽織か長着(ながぎ)、仙台平(せんだいひら)の袴姿が正式な装いです。

そして、数え年7歳(満年齢6歳の年)の帯解の儀(おびときのぎ)。

これは、鎌倉時代にはじまった儀式で、9歳の男女に行われました。

この儀式より、大人と同じように帯を結ぶようになります。

現在では、四つ身(よつみ)の振袖に帯付き姿が正式な装いとされています。

江戸時代に入り、それまで独立して行われていた各儀式が、商魂たくましい呉服屋さんの出現によって、3つの祝い事を「七五三」と一つにパッケージングされ、現在のような七五三の様式になったと言われています。

本来であれば、男女ともに行われていた3才、5才、7才の各行事は、売れるものがないという呉服屋さんの商売上の都合で、3才、7才は女の子、5才のみ男の子と喧伝(けんでん)され、武家や有力商人の間に流行し、明治以降、庶民にも広まったようです。

11月15日に祝うようになった理由

このように、庶民に広まっていった七五三の儀式ですが、11月15日に祝うようになった理由としては、この日二十八宿の鬼宿日(にじゅうはっしゅくのきしゅくにち)にあたり、婚礼以外は何事の祝い事にも吉とされていた為、徳川家光は、病弱だった子どもの徳松(後の綱吉)の健康祈願をこの11月15日に行ったことから、この日が一般的になったようです。

千歳飴の意味とは

さて、晴れ着を来て七五三のお参りの際、神社で授与品(じゅよひん)として貰える(または購入できる)のが千歳飴。

子どもたちにとっては、楽しみでもあるこの飴が、どのようにして生まれ、なぜ七五三のお祝いの品として用いられるようになったのでしょうか?

この儀式より、大人と同じように帯を結ぶようになります。

現在では、四つ身(よつみ)の振袖に帯付き姿が正式な装いと『日本料理由来事典 上』『たべもの起源辞典』によると、“大阪・夏の陣で豊臣方に敗れ、浪人となった平野甚左衛門(ひらのじんざえもん)の子、甚九郎重政(じんくろうしげまさ)が摂津で飴屋となり、その後、飴の販路を拡大するために、江戸に出て平野甚右衛門(ひらのじんえもん)へと改名し、浅草寺(せんそうじ)の境内(けいだい)で『千歳飴(ちとせあめ)』を売り始めたのがそのはじまりと書かれています。されています。

ただ、一方では、浅草寺の飴売りをしていた七兵衛(しちべい)が、紅白の飴を「千年飴」というネーミングで売り歩いていたのが始まりと言う説もあり、千歳飴の由来については、はっきりとはわかっていません。

現在この千歳飴は、精製した白砂糖を練り固めて作った「太白飴(たいはくあめ)」を、紅白に染めて作られている昔ながらの製法のもののほか、いちご味やレモン味など、最近のお子さんが好きな風味で作られたものや、細長い形状のタイプではなく、食べやすさなどを考慮した短めで小さくカットされたものなども製造販売されているようです。

まとめ

ここまで、七五三にまつわる話をお届けしてまいりましたが、昔ながらの風習には、大切な意味があり、様々な思いが込められた儀式であることがわかります。

また、自分が親になってみて改めて、この行事の意味を深く理解できたように思う行事の一つでもあります。

時代が変わり、形式や日取りなど、生活様式に合わせて変化をすることもあるかと思いますが、このような通過儀礼は、その子にとって一生に一度しかありません。

行事の意味をふまえた上で、ご家族の心に残る素晴らしい日になることを祈っております。

参考資料

知ってみるともっと楽しい!「七五三」の由来、歴史、豆知識
https://tinyurl.com/y4adcs5g

各地で違う文化がある七五三
https://www.hi753.com/blog/821/

七五三の由来と歴史
https://www.studio-alice.co.jp/shortcut/753_s/column/detail01.html

七五三ウキペディア
http://iroha-japan.net/iroha/B05_initiation/07_753.html

七五三より歴史の古い「千歳飴」。細長い形や袋の意味、起源、作り方など秘密をたっぷり紹介!
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000085122


https://esdiscovery.jp/sky/info01/dessert004.html

今日もお聴きいただきありがとうございました。

番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。11/9分については、放送終了後に更新いたします。

また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。

それから、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。

それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。

お相手は、倉嶋桃子でした。