2020年10月05日(月)
みなさん、こんにちは。倉嶋桃子です。
比較的爽やかな陽気が続いております。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
昼間の気温がまだ比較的暖かいこともあって、一日の中でも寒暖の差が大きく、上着などの持ち運びや脱ぎ気が面倒な時もありますね。
先日も駅から10分ほどの場所へ移動する際、普通に歩いても額へ汗がじんわりと滲むかんじでした。
お天気がいいだけで、外での活動も気持ちよく、ついつい足を伸ばして遠出したくもなるから不思議です。
今年は春からの様々な活動自粛などもあり、全世代において運動不足の傾向が見られるという事です。
健康管理といった点からも、積極的に体を動かし気分をリフレッシュするのもいいかもしれません。
体を動かす時間が多くなると、食事も美味しく食べられる気もしますし、質のいい睡眠もとれる気がするので、皆さんも気候の良い日を使って、軽い運動をするなど有効活用してみてはいかがでしょうか?
それでは、本日の放送内容です。
4月から始まったこのBlooming Days-日々是好日-も、早いもので半年が経ちました。
この番組は、1クール3ヶ月ごとに新しい挑戦をしているんですが、今月から私倉嶋の出身地であります郡山市のコミュニティ放送「ココラジ」で、この番組のスピンオフ番組Blooming Days PLUSがはじまることになりました。
そこで、今回の「Food」in bloomでは、この郡山市の名産品、食用の「鯉」について取り上げてみたいと思います。
皆さんは、「鯉」を食べたことがありますでしょうか?
私が郡山で暮らしていた頃は、食卓に普通に並べられることもあるお料理の一つでしたが、上京後、友人たちに聞いてみると、食べた経験がなかったり、そもそも食べ方がわからない、といった人がほとんどで、とても驚いたものです。
現代では観賞魚としてのイメージが強い鯉ですが、中央アジア原産といわれ、日本でも石器時代より食用にされていた、といわれるほどの古い歴史を持ちます。
鯉の栄養価は高く、中国の現存する最古の薬物書(やくぶつしょ)「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」では、医薬品に分類されるほどです。
特に、肝臓病への効果は大変に有名で、新しい肝細胞がどんどん増殖していく再生肝作用があることがわかっています。
その他にも糖尿病や胃炎、胃潰瘍、皮膚病、リュウマチ、妊娠中毒症などにも効果があり、優れた薬用魚として昔から重宝されてきました。
奈良時代の食文化は、獣肉(じゅうにく)への依存度は小さく、魚肉の重要度が高まった時代であり、魚肉の中でも特に、淡水魚のサケ、マス、アユ、コイ、フナなどが最も重要な魚でした。
当時は「鳥よりも魚、海魚よりも川魚、魚のなかではコイが一番で、スズキがこれにつぐ」と言われていました。
これは、内陸の京の都には鮮度のよい海水魚が運ばれにくく、淡水魚は手近なところで取れる新鮮な魚肉だったことが大きな理由と言われています。
鎌倉時代の作品である徒然草にも、鯉料理が御前料理(ごぜんりょうり)として登場し、室町時代の「四条流包丁書(しじょうりゅうほうちょうがき)」でも「鯉の調理こそが料理である」と明記され、淡水魚優位はこの時代にも続いていました。
これは、牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはいけないという、676年に天武天皇が発令した「食肉禁止令」によるものの影響で、四足動物を忌み嫌い、魚を尊ぶ風潮が生活に固定されていたからと考えられています。
江戸時代になると、新鮮な海の魚介類が豊富に流通しはじめ、江戸の将軍のお膝元では鯛が賞味されるようになりました。
この時代には鯛と鯉の優位性が逆転し、鯛が「大位(たいい)」と称されたのに対して、鯉は「高位(こいい)」から「小位(こい)」の字があてがわれたそうです。
日本において長い歴史を持つ鯉料理ですが、一般的に鯉は焼き魚にはされませんでした。
その理由は、鯉の焼き物が切腹前の御供膳(おみおぜん)として使われたことから「鯉の焼き物は不吉の場合のお膳」として見なされていたからです。
このように日本でも、古くから食用として食べられていた鯉ですが、川や湖に生息する淡水魚であるため、寄生虫がついていたり、臭みが強いなど、家庭で調理するにはあまり適しているとは言えません。
鯉は、生息環境によってその味がとても変わる魚なので、調理の仕方が広く知られている特定の地域でのみ食べられているのかもしれません。
調理の仕方が広く知られている特定の地域とは、養殖の盛んな長野県佐久市、山形県米沢市、茨城県霞ヶ浦北浦、福島県郡山市など。
なかでも私の出身地郡山市は市町村別生産量でいうと全国一。
明治時代に猪苗代湖から引かれた安積疏水完成により水利がよくなった事で、使われなくなった灌漑用のため池を利用した鯉の養殖を始めたことがきっかけでした。
郡山は、養蚕が盛んな事もあり、鯉の餌となる「蚕(かいこ)のさなぎ」が手に入りやすかったことが、鯉の養殖が盛んになった理由だといわれています。
郡山は内陸部にあるので、当時は鮮度の高い海の魚介類をなかなか食べる機会がなく、その代わりとして家庭でも鯉をよく食べていたようです。
私が郡山にいた頃には、家庭料理の一つとして普通に食卓に出る機会も多かったのですが、最近では、家庭でお料理する方は少なくなっているようで、実家の父によるとお魚屋さんで鯉を目にすることはなかなかなく、お惣菜としてスーパーに置いてあるものを見る程度とのことでした。
調理に手間や時間がかかることや値段が高いこと、新鮮な海の幸がお手頃な価格で買えるようになったことなど食生活の変化が理由のようです。
地元ではさほど食べられなくなったとはいえ、全国にある割烹や料亭では食用鯉のニーズはまだまだあり、おもに県外に出荷され「郡山の鯉」として多くの人に消費されています。
最近では、鯉の地産地消としての鯉の食文化が衰退することに危機感をもっている郡山市や県南鯉養殖漁業協同組合が、「鯉に恋する郡山プロジェクト」と銘打ち、市内の飲食店で鯉を使ったメニューを増やしたり、学校給食で鯉を提供したりと、鯉の普及活動に力を入れています。
ちなみに郡山市内外の多くの飲食店・宿泊施設・販売店で郡山の鯉が楽しめる「鯉食キャンペーン」の次回開催は、2021年1月11日~2月14日。
郡山市は、鯉が美味しく楽しめる街です。
滋養強壮に優れ、栄養満点で美味しい郡山の鯉を、家庭で味わうのはもちろん、観光でお越しの際にもぜひ皆さんで味わってみてください。
【食物語・郡山のコイ】 意外な顔に思わず『恋』 全国一の生産量誇る
https://www.minyu-net.com/gourmet/syoku-story/FM20170115-141626.php
fish food times
http://www.fish-food.co.jp/message143.html
鯉食キャンペーン 2020 鯉に恋する郡山
https://www.city.koriyama.lg.jp/sangyo_business/nogyo_ringyo/koipro/23587.html
関東より西の地方の方には馴染みがないかもしれませんが、東北地方の秋の風物詩といえば芋煮会。
私の出身地福島県郡山市はもとより、東北地方では春のお花見と同じように、みんなで集まる秋の恒例の行事です。
今日のInterest」in bloom では、東北地方では秋の定番、関東地方の皆さんにもぜひ知っていただきたい「芋煮会」について取り上げてみます。
芋煮会とは河川敷など、野外にグループで集まって、里芋を使った鍋料理などを作って食べる行事のこと。
青森県を除く東北地方各地で行われる季節行事で、親睦を深めることを目的に、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われる春の花見・秋の芋煮会として双璧をなすイベントです。
地元を離れ都会に出ていった東北人も、この時期になると心がざわつくといいますから、『芋煮会』が東北人のDNAに深く刻み込まれている事は間違いないかもしれません。
芋煮会という呼び方は、地域によって異なり、岩手県の一部では芋の子会、、秋田県では鍋っ子、福島県会津地方ではきのこ山と呼ばれたりもしています。
芋煮会は、里芋の収穫時期とあわせ、10月初旬から徐々に行われ始め、10月下旬から11月初旬にかけてピークを迎え、紅葉シーズンの終了、または、初雪が降ると共に終息することが一般的です。
里芋は寒さに弱く、その保存の難しさから、厳冬期前に里芋を消費する意味合いもあって「芋煮会」の原型が行われたと考えられています。
また、青森県に「芋煮の文化」がないのは、当時のサトイモの栽培できる限界より北にあったこと、東海地方より西で行われないのは、サトイモの保存が容易だったことなどが理由のようです
この芋煮会、発祥については諸説ありますが、江戸時代、米の不作に備えて作られていた里芋を「煮て食べる」料理自体は日本各地にあったことから、河原などで鍋をする現在の「芋煮会」の習慣と呼び名は、比較的最近、山形県 内陸地方から庄内地方、宮城県、福島県、秋田県、さらには他の地域に広がっていったのではないかと考えられています。
郷土史研究家の烏兎沼宏之(うとぬまひろし)氏は、『芋煮会のはじまり考』という書籍で、「最上川舟運(しゅううん)の船が来るのを待つ間、船乗りたちが松に鍋をかけて里芋と船に積んできた棒鱈と最上川でとれたザッコ(雑魚)をいっしょに煮ていた」という言い伝えがあったことを紹介し、この言い伝えを元に元禄年間以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりではないかと推測しています。
また、黒木衛(くろきまもる)氏の『山形の芋煮会』という書籍によれば、河原(主に山形市の馬見ヶ崎川{まみがさきがわ}の河原)での芋煮会は、1890年代から町の風流人たちによって開始され、やがて町の人たちや、山形に置かれていた歩兵(ほへい)第32連隊、旧制山形高等学校の人たちの間でも行われるようになったと書かれています。
一方、福島県会津地方では、江戸時代から、きのこが採れる秋になると、収穫祭の“がらごり”(反省会)に、きのこ・里芋・大根などの鍋料理を囲む習慣があり、現在の福島県の芋煮会の源流の1つとされています。
ただし、江戸時代の芋煮の原型と言われているものには、豚肉や牛肉などの肉類は一般に食べられていなかったため、現代のように肉は入っていなかったようです。
その後、1960年代に入りレジャーブームが到来すると、「農村の収穫祭」であった芋煮会は、郡部から市部に大量に移住してきた人たちを中心として、海岸・河川敷・広場・レジャー施設などで、各グループ毎に食材等を持ち寄って芋煮会が開催されるようになります。
この芋煮、地域によって、入れる食材、味付けが異なります。
山形県内陸部でも特に芋煮会が盛んに行われる山形県・村山地区の芋煮は、多めの里芋と牛肉をふんだんに使った醤油風味。
同じ山形県でも、日本海に面した庄内地区や宮城県では、豚肉・味噌風味。
岩手県は、鶏肉・醤油風味。
福島県の芋煮は、豚肉、味噌風味、醤油風味、醤油と味噌のミックスとバリエーションが豊富です。
その他にも、一部の地域では、馬肉・塩風味、寄せ鍋風などがあるようです。
ちなみに、宮城風と山形村山風の芋煮は、毎年秋のシーズンになるとネット上で「芋煮戦争」が勃発します。
お互いを非難しているようで実は尊敬し合う「仲良しのケンカ」になりますが、最後には2つの鍋を一緒に楽しむという光景が、宮城県の広瀬川流域の風物詩になっているそうです。
ここまで、東北地方の芋煮会についてお話しましたが、芋煮の文化は日本の各地にあります。
「伊予の小京都」と呼ばれる大洲市。藩政時代より、春と秋の年2回「お籠もり」という親睦行事があり、その際、肱川(ひじかわ)流域の肥沃な土で育った里芋を農家が河原へ持ち寄り、肱川の鮎からとったダシで炊いた「いもたき」を食べていました。
また、「山陰の小京都」と呼ばれる島根県鹿足郡(かのあしぐん)津和野町(つわのちょう)では、笹山芋と煮出し用の干した魚のみを入れた芋煮を食べます。「お城下鍋(おじょうかなべ))」とも呼ばれ、もてなし料理にも、酒席の肴にも提供されています。
今でも芋煮会の大きなイベントを開催している山形県や宮城県では、秋になるとスーパーやコンビニエンスストアの前にまで、うず高く薪が積まれ、芋煮の材料はもちろん、芋煮用鍋、芋煮用薪、芋煮用ゴザ、芋煮用ガスコンロが、当たり前のように無料で貸し出しをしています。
今年は大勢で集まって芋煮会をしたくてもなかなかできない状況かと思います。
同じ場所に集まって同じ鍋のものを食べるといった親睦の意味を考えるいいきっかけになるのかもしれません。
来年の今頃は、みんな笑顔で鍋を囲めるといいですね。
芋煮会 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%8B%E7%85%AE%E4%BC%9A
全日本芋煮会同好会
https://www.imonikai.jp/
会津の風土が育んだ食文化 会津郷土料理十食 会津若松商工会議所
http://www.aizu-cci.or.jp/a-cci-inC1/02-topics/t2016/20160105_01.pdf
今日もお聴きいただきありがとうございました。
番組では、ポッドキャストによる配信をおこなっています。10/5分については、放送終了後に更新いたします。
また、番組では皆様からのメッセージをお待ちしております。「試してみたよ」「作ってみたよ」といった番組で取り上げた内容のご感想、みなさんが感じる幸せのひとときなど、ぜひお聞かせくださいませ。
それから、番組の構成上、時間の都合でリクエスト曲にはお応えできない可能性がございます。ご容赦くださいませ。
それでは、また来週、月曜日15:00にお耳にかかりましょう。
お相手は、倉嶋桃子でした。